自動車メーカースズキの鈴木修・元会長が94才で亡くなりました。強烈なリーダーシップでスズキを大企業に成長させるとともに、政界への関わりもあり、静岡に住んでいる人は何らかの影響を受けていたのではないかと思います。
私の世代だと本田技研の本田宗一郎氏は伝説の存在ですが、鈴木修氏も小さな企業を大きくし、今にいたる軽自動車の発展を牽引したという点では同じくらいのパワーを持っていたと言えるのではないでしょうか。
スズキの車というのは、他車と比べて「安さ」を前面に打ち出した戦略で大きく伸びました。47万円で新車として発売された「アルト」や、その後出た「マイティボーイ」は新車の最低価格は45万円という、同車のコマーシャルの「金はないけど目立ちたいからマイティボーイ」というはっきりとしたコンセプトで売り上げを伸ばしました。
その代わり、中古車で購入する場合ほとんどの装備がない状態だったり、細かなところの耐久性に疑問が付いたりと、安かろう悪かろうという部分は当然ありました。それでも、安い車ということを追求したのは企業の個性であるという開き直りのようなところもあったように思います。
かつて私も「ワゴンR」のオーナーとして車中泊ではかなりお世話になりましたが、そのころでもエアコン・オーディオ・パワーウィンドといった一通りの装備が付いた特別車をディーラーのワンプライスで販売していて、他車と比べると十分安く新車でも100万かからずに買えたので、そうした車に世話になった方も多いのではないかと思います。
鈴木修氏の話としては、先日車検をお願いした修理工場の担当の方が元々スズキのディーラーで働いていた方で、お話を伺ったことがあります。スズキはディーラーで車を売るだけではなく、街の中古車屋さんに新車をおろして売ってもらうというような販売方法も多く活用していたそうです。新車販売の成績が良いお店は、その成績に応じて招待旅行があるのですが、その懇親会には必ず鈴木修氏は出席し、中古車店の店主さんと会い、握手をして写真を撮るという一連の流れを続けていたそう。そうすると、中古車店の方は、あの鈴木修氏が自分のために色々やってくれたと感激し、新車販売のモチベーションになっていたのだろうと思えます。
その反面社員にはかなり厳しかったようで、徹底したコストカットをして新車を安く売るための方法を考えさせるような厳しさを出していたのだそう。昔気質の経営で会社を大きくしていった伝説の人物として今後も語られるようになるのではないかと思います。
一つ残念なのは、現在の軽規格からさらに排気量を上げる新軽規格を鈴木修氏存命中には達成できなかったことではないでしょうか。スズキが進出したインドでは、実に魅力的な車を多く作っているのですが、800・1000・1200の車は日本国内の規格では普通車になってしまい、利用コスト的には不利です。もし今後軽自動車の規格が800ccまで良くなれば、スズキのインド工場で作っている車を即投入できるので、かなり面白いことになるのでは(800ccの軽ワンボックが実現すれば車中泊には最強?)と思っていたのですが、政治的な問題がからんで来るので、もし鈴木修氏の剛腕でこの状況が打破できていたらと思うこともあります。
もはや自動車はガソリンから電気へと移行はしているものの、そう単純なものではありません。今後スズキがどういった方向性で進んでいくのかはわかりませんが、軽自動車というキーワードで大きくなっていった企業であるだけに、他のメーカーとは違ったアプローチで魅力的な車の数々を出したり、軽自動車規格の変更に向けても政治への働き掛けは行なっていって欲しいですね。