カテゴリー別アーカイブ: おくやみ

日々の訃報の中から自分の記憶に残したい人について書いていくことで故人を偲びたいと思います。

樹木希林さんの訃報に触れて

このブログの内容とは全く関係ありませんが、女優の樹木希林さんの訃報がニュースで流れてきまして、それなりのショックを受けています。テレビドラマやバラエティーで見たりするだけの事で、そこまで知っているということではないのですが、その生き方にシンパシーを感じていました。

具体的には、劇団を止めてからは芸能事務所には所属せず、女優でありながら個人事業主という立場で女優のお仕事を続けられていましたが、相手との交渉をお金の面も待遇の面でも自分一人でこなさなければならず、普通の女優さんにはとてもできない活動方法だったのだろうと思います。個人的には漠然と誰にも世話にならず、好きな事をやって暮らしていければいいなとは思っているものの、好きな事をやって生活をしていくということは相当に難しいものです。しかし、75才という普通の人ならとうにリタイヤをして悠々自適な生活に入る人もいる中で自分の意志で仕事をこなしている姿を拝見する中で、自分はまだまだですし、何とかしてそこに近づけるようになりたいと目標にさせていただいていた方の一人でもありました。

そして、もっともっと長生きをして活躍するのではないかというくらい、ここ数年の活躍はめざましく、まさかという気持ちで今もいるのですが、先月に知人宅の外階段で滑って転び、大腿骨を骨折するということがニュースになって、さすがの樹木希林さんでも体が動かなくなってはどうにもならなかったのかと思いました。

転んで骨折するということは、ある一定の年齢を超えるとなかなか大変で、若い時にはしっかりと療養したり手術をすれば元通り元気になると思いますが、骨折して寝たきりになってしまうという事はよく聞くことでもあります。樹木希林さんの場合は全身がんというような事も報道されていましたが、体の老化が進めばがんの進行も遅れると言われていることもあり、今回のようないきなりの訃報を聞くようになった直接の原因は骨折がきっかけだったのではないかと個人的には思っています。

車中泊を楽しんでいる方の中には、シニア年代の方も少なくないと思いますが、日々の生活だけではなく、旅行中にもちょっとした段差につまずいて転んで骨折ということも有り得ます。スリッパより踵を固定できる履物を用意したり、とにかく自分の能力を過信しないで自分を見つめることが大事になってくると思います。

故人のご冥福をお祈りいたします。


望月三起也さんは漫画家でありサッカー界の恩人だった

日本の漫画というのは一つの方向から発展してきたものではないところが面白いと常々思っています。手塚治虫氏を師と仰ぐ雑誌「漫画少年」から出て来た人だけが日本の少年漫画の主流になったというわけではなく、貸本漫画という全く別の方向から大家になった水木しげる氏、さいとうたかを氏のような方もいらっしゃったり、少年漫画だけでも大変多岐に渡る作家さんがいらっしゃいました。

日本の漫画がこれだけの隆盛を極めたのには、一つの流れだけではなく、一方で週刊少年ジャンプ連載の人気投票ありきの流れだけでなく、ガロのような編集者の眼力だけで評価されるような作家の作品も同じように読まれてきたことと無縁ではないでしょう。

私自身が小さい頃に読んでいた漫画雑誌はさすがにガロではありませんでしたが(^^;)、週刊の漫画誌としてはマガジンでもサンデーでもジャンプでもチャンピオンでもない「少年キング」でした。今となってはなぜキングを選んだのかもわかりません。

ちなみに私が読んでいた頃の少年キングはまだ「銀河鉄道999」の連載も始まっていない頃で、自転車で日本一周することを漫画にした荘司としお氏の「サイクル野郎」や、単身アメリカへ出掛け、そこでその当時の日本の事を全くわからずにギャグ漫画を日本に送っていた森田拳次氏の連載があったり、日野日出志氏のホラー漫画でないギャグ漫画が載っていたりと、かなり他とは違う漫画誌だったということは覚えています。

そして、当時の少年キングでの人気ナンバーワンと言えば、やはり今回紹介する望月三起也氏の「ワイルド7」だったのでした。昔の漫画ということでかなりどぎつい表現などもありましたが、荒々しいアクションの面白さと主人公の面々が様々な戦いの中でどんどん殉職していくというのは子供心にトラウマになりかけましたが、夢中になって読んだことを覚えています。

先日の新聞で、その望月三起也氏が亡くなったことを知りました。新聞の訃報欄には漫画家としての業績しか書かれていませんでしたが、私が思うに望月三起也氏のこの世に残したものというのは漫画以上にサッカーというスポーツを日本におけるメジャースポーツになるまで応援し続けた功労者だという風に映ります。

望月三起也氏が選手兼監督として関わったサッカーチーム「ザ・ミイラ」は、芸能人も選手として名をつらね、大きなサッカーの試合の前座として人集めのためにチャリティーで試合を行なっていました。私の今住んでいる静岡県ではまだJリーグ発足前からサッカーが盛んな土地だったので、何かの企画でサッカーの試合があると、よく「ザ・ミイラ」が試合にやってきたことを覚えています。

メキシコオリンピックで活躍した杉山隆-さんと親しかったことから静岡にもやってきていたのかも知れませんが、サッカーに興味がなくてもサッカーをやる芸能人に興味を持って見にきてくれるならと地道なサッカーの普及活動をやったことで多くの人がサッカー自体の面白さに気付き、今のワールドカップに連続出場できるまでの実力が付いてきたと言ったら言い過ぎでしょうか。

サッカーのワールドカップ予選もこれから最終予選に向けて、期待が高まっていくことと思います。望月三起也さんのインタビュー記事を読むと必死になってボールを追いかける一生懸命さが好きだという事でした。女子チームのオリンピック出場が叶わなかったのは、望月氏のおっしゃる懸命さにかけていたのではないかと今になって思ったりするわけですが、今後の男子代表チームが、そうした懸命にボールを追いかける姿を見せてくれることが日本チームをワールドカップに導くのではないかと思ったりするのです。

故人のご冥福をお祈りします。


西田善夫さんを悼む

 元NHKのアナウンサーで解説委員、横浜国際総合競技場の初代場長としても活躍された西田善夫さんが80才で亡くなられました。このブログの内容とはほとんど関係ありませんが、個人的には機会があれば講演会などへ出向いて直接お会いしたいと思うほど好きなアナウンサーでしたが、その願いは叶いませんでした。そんなわけで、その想いも込めてここで、私なりの西田さんに対する思い出などを書かせていただきたいと思います。

このブログではしばしば今の日本のテレビについて言及することがありますが、テレビというメディアは同時に多くの人の目を集中させ、その感動なり悲しみを共有できるものです。ドラマとかバラエティは作り手の考えを一方的に伝えるだけですが、生中継のライブというものは放送すると同時に多くの人の目が集まります。その中で、実況をするアナウンサーが現地の様子をどのように伝えるのか、それによってテレビを見ている人の印象も変わってくることがあります。

西田さんはスポーツアナウンサーとして多くの感動を生む現場に立ち合ってきた方です。若い頃からラジオから聞こえてくるオリンピック中継に興味を抱き、1964年の東京オリンピックから実況放送の現場に立ち合っています。その際、若手なのになぜ抜擢されたのかというと、担当のバレーボールについて、当時は9人制が主流の中でいち早く6人制バレーボールの審判研修に出向くなど、実況のためにそのスポーツを探く掘り下げる行動が評価されたということのようです。

アナウンサーとしての初任地が北海道の室蘭だったこともあり多くのウィンタースポーツ、特にアイスホッケーの実況でも定評があり、1980年レークプラシッドオリンピックの男子アイスホッケー決勝戦で、当時アマチュアで敵無しと言われたソビエトをアメリカのアマチュアチームが破ったことで奇跡と言われた「アメリカ合衆国」VS「ソビエト連邦」の試合の実況も担当しました。

新聞の追悼欄にはバレーボールの名実況や野球の実況に関しての経歴が紹介されていましたが、私が西田さんのすごさを認識したのが1984年に開催されたサラエボオリンピックのスピードスケート男子500mの実況でした。

当時は日本のスピードスケートのメダリストはおらず、その第一号として相当期待されていたのが黒岩彰選手でした。カーブを曲る技術は世界一と評され、前年の世界スプリント選手権で総合優勝という成績をたたきだしていた黒岩選手は、日本の期待を一身に受けレースに臨むこととなったのです。現地レースが大雪の影響で5時間遅れたことで、レースが始まったのが日本時間の深夜でしたが、当時の日本から応援する人は眠い目をこすりながら日本初のメダルの瞬間を見逃すまいと注目していたのです。

現地の天候は開始時間を遅らせてなお最悪で、野外リンクの上に雪が降りつもるようなレーンコンディションでした。その上、当時のレースは抽選でインコースかアウトコースか決められたらそのコースでの一発勝負になる決まりでした。もし黒岩選手が長野オリンピックの頃にピークがあったら、その技術を十分に見せた上での好成績が期待できたのかも知れませんが、残念なことに黒岩選手が引いたくじは全ての選手において不利となるアウトコースからのスタートだったのです。

加えて大粒の雪が黒岩選手の技術を阻み、当然同走者にも敗れた黒岩選手のタイムの横には「5」という数字が表示されました。

「黒岩、メダルの希望がなくなりました」

実況を担当した西田さんのある意味冷酷なまでのこの一言は、国内で大いに期待して中継を見ていた人たちを現実の世界に引き戻すかのようなアナウンスでした。しかし、黒岩選手のすぐ後のレースでさらなるサプライズが待っていたのです。

日本のレース出場者の中で、黒岩選手以外はほとんど顧みられなかった中、本番における一発の魅力があるということで選手された選手がいました。それが当時法政大学の学生だった北沢欣浩選手でした。彼自身、黒岩選手の影に隠れる形で全く注目されていませんでしたが、その分、自分のルーティーンを守って普段通りの状態でレースに臨むことができたのです。北沢選手は大雪に対する自分の滑りについても冷静に分折していて、カーブでの技術よりも雪を蹴散らすように滑るというより走るという、力の滑りを心掛けたことで、同走者を引き離してゴールしました。

「北沢、二位の記録です」

西田さんはこうアナウンスしたと思いますが、この時点では単に北沢選手が黒岩選手の上に行ったくらいの認識しか西田さんにもなかったと思います。その後、大雪の天候が続く中で有力選手が全く記録を伸ばせない中、北沢選手のメダルへの期待がどんどん高まっていったのです。そのうちに西田さんの興奮はテレビを見ているこちらが大笑いしてしまうほどにヒートアップしていきます。

「皆さんは、恐らく北沢の「き」の字も御存知ないと思います」

と言いながら北沢選手のプロフィールを紹介していましたが、このアナウンスなどは、ほとんどの日本の視聴者が思っていたことを代弁するようなコメントでした。さらにメダルが確定するかどうかという時になると、その興奮度は半端ではなく、順位の記されたボードを紹介しながら、見ているこちらも失笑してしまうようなアナウンスを発しました。

「現地の人々は北沢の名前を知りません!!」

 日本で応援している人すら当日のレースまでその名前を知らなかったのですから、それも当り前の事なのですが、それほどの意外性ある事を強調したコメントを出していたのでした。そして、全ての選手が滑り終わり、北沢選手の銀メダルが確定した時にはついにこう叫んだのです。

「”一発”の北沢、やりました!!」

こうしたフレーズ(以上の言葉は、ほぼ私の記憶に基づいたものなので、細かい所に違いがあるかもしれませんが、その点はご了承下さい)を西田さんが連呼することで、いかにこの結果が偉業であるのかを私達に伝えてくれたように思います。西田さんとしてもウィンタースポーツを多く見ながら、なかなかメダルに届かない日本のスピードスケートの事情を相当取材しており、いかにこのメダルが関係者にとって悲願だったかを知っていたからこそ、あのような実況になったのでしょう。

その後、その年の新語・流行語として「現代用語の基礎知識」に若者言葉として掲載されたのが「黒岩る」(事前に大いに期待されていたが、本番で実力を発揮できないこと)、「北沢る」(事前に期待されていなかった人が、本番でいい結果を出すこと)という新語でした。こうした言葉が少しの期間でも使われた裏には、日本人の多くがサラエボオリンピックのテレビを見ており、私と同じようにレースを伝えた西田さんの語り口に大いなる影響を受けたからではと今でも思っています。

このように、いくら事前に想像していたことでも、それに反するとんでもない事が起こったりすることがスポーツの面白さで、実況中継をするアナウンサーはその感動をしっかりと伝えられるかどうかによって、評価が決まると思えるようになりました。それはインターネットが主体となった今の時代でも変わりません。これまでのオリンピックでも感動するアナウンスは多くありますが、これはあくまで個人的なことになりますが、事前にある程度こうなったらこう言おうと思っていて、その通り実況するというのはアナウンサー本人の興奮はそれほど伝わってきません。それよりも、嬉しくなりすぎて絶句してしまうようなアナウンサーや解説者の方に感動をもらう事があるほどです。

それは例えば、バルセロナオリンピックで岩崎恭子さんが金メダルを取った時に解説だった高橋繁浩さんの「やった!」という叫びです。過去にメダル候補と言われながら、高橋氏個人潰しとしか今となっては思えない彼のスタイルである水没泳法が泳法違反で何度も失格を取られた経験や、教え子である林亨選手がわずかの差でオリンピックのメダルに届かなかったという過去があるからこその叫びであったでしょう。

テレビ観戦している側としては、そうした情報も紹介してもらいながら、放送席の歓喜の瞬間の感動を多くの人々に伝えるようなアナウンスを、選手の頑張り以上に求めたいですし、西田さんはそうした事を考えつつも的確に現地の感動を伝えてくれた名アナウンサーだったと思います。今後、西田さんに続くような、テレビ観戦している人を大いに盛り上げる名調子を発してくれる人は現れるのでしょうか。

故人のご冥福をお祈りいたします。