新型コロナウイルスが陽性になって入院していたタレントの志村けんさんが2020年3月29日深夜にお亡くなりになりました。過去に肺炎の手術をされた事もあったということで、改めて新型コロナウイルスの怖さというものを感じざるを得ません。志村さんは2020年を迎えるにあたり、山田洋次監督が撮る映画の主演とNHKの朝ドラに出演するという、コメディアンから俳優へのチャレンジをされ、さらにオリンピックの聖火ランナーに選ばれるなど、人生にとって大事な年と認識していたに違いありません。
つまり、今回の新型コロナウイルス感染については志村さんご本人が一番悔しかっただろうと思えるくらい突然だったということになります。今回の入院報道が出た直後にスタジオ収録した過去の恋人のその後を紹介するテレビ番組に出ているのを拝見しましたが、その収録日は2020年3月10日で、翌週末の21日にはもう意識がなかったという報道があるので、ご本人も何がなんだかわからないうちに逝ってしまわれたということになるのではないでしょうか。
このような事例を見てしまうと、しばらく自宅で経過観察をしているあいだにどんどん悪くなってしまっていたのではないかという風にも思えてしまいます。志村さんの場合は過去に肺炎の手術を行っていたということもあり、なぜすぐ病院に行き肺の検査をすぐに受けられなかったのかとも思ってしまいます。志村さんがお亡くなりになったことは大変残念ですが、今回の報道を受けて多くの方が今以上に体調に気を付けるだけでなく、早めに意思の診断と検査を受けられるように関係者の方々は考えていただきたいですね。志村さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
今回はたまたま志村さんの過去の映像を見ている中、コメディアンとしての功績とは別なのですが、大変おもしろい功績だと思われることを発見しました。それは「8時だヨ!全員集合」がAmazonプライムで見られるのを知り、たまたま見た1981年2月7日 取手市民会館での収録の後半のコントでのことです。そのコントは仲本工事さんとの掛け合いで、西部劇によく出てくるバーのセットを使って決闘をするのですが、銃では決着が付かないので、「じゃんけん」で負けたほうが様々な液体をズボンの中に流し込まれるというものでした。この中のじゃんけんの結果は台本ではなく、本当に負けた人がひどい目に合うという流れなのですが、だからこそ露骨に後出しをしたのがわかったり、二人のタイミングが合わずにスムーズにじゃんけんができなければ、コントの面白さが損なわれてしまいます。
そこで、志村さんが開発されたと言われているのが(神楽坂の芸者がお座敷遊びでやっていた形式にヒントがあったとも)、タイミングを合わせやすく後出しも起きにくい掛け声「最初はグー!」だったというわけです。実はこの掛け声が誕生したのは打ち上げで飲み代を恨みっこなしでじゃんけんで負けた人に払わせるために(それまではパトロンの方が常に全額を払っていて悪いとおもったとのこと)、多少酔っ払っていてもタイミングがバッチリ合うように志村さんが考えたのだということです。
最初のコントでも、最後には「最初はグー!」と言って「パー」を出して相手に罰ゲームを押し付ける今もあるパターンで締めていまして、かなり仲間内でやり込んだ後に満を持してテレビで公開したという感じがします。このおかげでテレビのバラエティー番組だけでなく、私達が何かをじゃんけんで決める時にもスムーズに決めることができるようになりました。こんなにはっきりと「最初はグー!」の起源がわかるというのも面白いですが、そこには、テレビタレントとしての相当の勘が働いていたのではないかと思われます。コメディアンとしての志村さんのことを評価できない方もいるかも知れませんが、一世を風靡した人というのは、今回紹介したこと以外にも様々な逸話を持っていらっしゃると思います。今の世を生きるものとして、そうしたことは知った上できちんと人物を評価すべきだろうとしみじみ思います。