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来たるべき自粛明けのドライブに備えてSpotifyのプレイリストを作ってみる

極力外出を控えて必要以外の場合は自宅で過ごしていると、だんだんやることがなくなってくるかと思ったら、インターネットの世界というものは本当に果てしないもので、毎日覗いていても新たな発見があるから不思議です。

今回は、あまりに暇なので音楽サービスである「Spotify」で自分好みのプレイリストを作ろうと色々と調べていました。というのも、タブレットやパソコンでストリーミング再生をする分には無料会員でもアルバムをまるまる聞いたり、好きな曲を何回も聞くことが可能なのですが、スマホ(7インチモデルのタブレットも同じ?)では必ずランダム再生およびSpotifyからのお知らせ、さらにSpotifyからのおすすめ曲が強制的に再生され、飛ばすこともできません(その代わり一曲はフルで聞くことができます)。

こうした不便さを逆手に取り、自分で好みのプレイリストを作れば、ランダム再生でお知らせは途中で入るものの、スマホから自分の好みの音楽をいつでも再生できるようになるわけです。

例えば、以下のリンクはそんな気まぐれから作った曲のリストなのですが、ジャンルを問わずに自分が今まで聞いてすごいと思ったギタープレイの巧みな曲をリストにしてみたものです。興味がある方は以下のリンクの内容をご参照下さい。

上記リンクは別に自分の音楽の趣味を自慢するようなものではなく(^^;)、ただ昔カセットテープやMDを自分の好きな曲を録音し、車の中で延々と聞けるように編集したことを思い出し、このようなその時の気分で聞きたいリストを今のうちに作っておけば、自粛明けになった時にスマホからでも無料でドライブ中の音楽を特別な用意なくいつでも聞けるようになることを目論んだものです。

上のリストは「ギター」に特化した曲を集めてみたのですが、まだ漏れている曲というのはあるだろうということで、自分の過去に聞いていたものでも他人が勧めるものでもいいからリストに加えてもいいと思える曲がないかというのを昨日は調べてきました。そんな中、面白いページに行きあたったのですが、上のリンクに加えようとは思わなかったものの、過去の音楽アルバムの面白さというものを感じたものに、以下の作品があります。

こちらのリンクはアルバム自体へのリンクなので、有料会員の方でないとスマホからではランダム再生しかできないのでご注意下さい。アルバム名は「SUPER DRIVE」、郷ひろみさんのアルバムです。アイドル路線が全く駄目な方もいるかも知れませんが、ジャケット・デザインが横尾忠則氏で、バックバンドに何と24丁目バンド(The 24th Street Band)というニューヨークで活躍していたフュージョン系のバンドでした。日本でも人気があり、かなり分厚いサウンドになっているのですが、逆にこれだけサウンドが厚いとメインボーカルの郷ひろみさんはきついだろうなと思えるような感じのアルバムで、今回調べたことで私は初めて聞きました。

24丁目バンドのギターは故・ハイラム・ブロック氏で、私自身は国内のコンサート(マーカス・ミラー氏やデビット・サンボーン氏と一緒だった?)でその演奏を直に見たことがあるので、上記アルバムでソロを取っているギターを聞くと、その時の事をつい思い出してしまうくらいでした。

郷ひろみさんのファンとしてはいわゆる歌謡曲的な感じではないので面食らった方もいるのでは? という感じでしたが、今の情報およびそれをすぐ手元で聞くことができるシステムが整っているというのは改めてすごいと思います。ちなみに「SUPER DRIVE」収録曲はやはりというか郷ひろみさんのボーカルメインで、私の好きなハイラム・ブロック氏のソロも印象的ではあるものの、そこまで目立ってしまうと完全に郷ひろみさんが消えてしまうと思ったからかどうかはわかりませんが、別のリストにまとめるよりもアルバム単体として楽しむ方が良いように思いました。

しかしながら、1979年発表のこのアルバムのように、まだ日本の経済が元気であった時代は様々な海外ミュージシャンがコラボしたり、逆に日本から海外レコーディングして作られたような私の知らない作品がまだまだあるような気がします。時間を掛けて調べながら自分の新たな好みの音楽を見付けていく作業というのも、逆に今だからこそできるような感じもしなくはないので、新たなジャンルでのプレイリスト作りを今後も楽しみながら行なっていこうと思っています。

こんな時だから考えたい「世界の人に聴いて欲しい日本の音楽」とは何だろう?

東京オリンピックの開会式のスケジュールが大変なことになっています。恐らくここまで直前に来て変更を余儀なくされたのは初めてではないでしょうか。今回、開会式の音楽を担当する人が直前に辞任し、会場で流す予定だった曲も流さないことになったということで、その部分を埋めるのは並大抵のことではないと思いますが、そもそも日本から世界にアピールできる場でどんな音楽を流すつもりだったのかということに興味がわいたので、今回のミュージック・ディレクターを務める田中知之(FPM)氏の音楽をSpotifyから聴いてみることにしました。

実際、田中氏が今まで出している作品がそのまま流れるわけではないと思うのですが、役職を辞任した小山田圭吾氏とのコンビでということを考えると、当初東京オリンピックを開催する時に言われていた「コンパクト」というキーワードで日本というよりも東京の限られた地域に根ざすようなダンス系の音楽という印象で、海外の方でも日本の音楽に詳しい方なら興味を示すのではと思えるものの、私たち日本国内で生活する人々の多くの方は「これが日本を代表する音楽か?」と思う人も出てくるのではないかと、まだ開会式も見ていないながらの印象ではありますが、そんな風に感じてしまいました。

改めて、東京オリンピックとは関係なく、海外でテレビを見る多くの人に「日本の音楽とは何か」という形で何が世界に向かってわかってもらいやすいのか? という風に考えてみると私個人的には以下のような内容が思い浮かびます。

・日本列島に大古の昔から住んでいる人の奏でていたと思われる音楽および、そうした存在にインスパイアされた音楽
・日本各地で伝わっている民謡およびそうした地域に根ざした音楽
・世界的にヒットしている歌手の楽曲や広く世界に認知されているアニメ・ドラマ・ゲームの音楽
・日本のテクノロジーによって実現した初音ミクおよび全編打ち込みの音楽(演出をCGで行なえば出演者がいらずに無観客化も可能?)

一般的に、土着的なものであればあるほど、その内容はオリジナルなものとなり、新鮮に海外の方々には映るのではないかという話があります。それは、いわば都会と田舎の違いでしょう。都会の音楽を聞き慣れた耳には、地方の民謡は古臭く感じる方もいるとは思いますが、今回の開会式が洗練された都会的な音楽を主に流すかも知れないのとは対照的に、田舎のオリジナリティが輝くこともあるかも知れません。

地方発の古くいものにオリジナリティが生まれる例として挙げたいのが、映画「ゴジラ」の音楽です。作曲者の伊福部昭氏は北海道の出身で、代表作にアイヌの方との交流の影響がうかがえる「シンフォニア・タプカーラ」があり、これを聴くとまさに「ゴジラ」の世界なんですね。ご本人はゴジラの音楽に再び注目が集まった際、トラックレースの一周遅れで先頭に立ったようだと語っていたそうです。

また、個人的に多くの人に聴いてもらいたいと思う楽曲に、冨田勲さんの「イーハトーヴ交響曲」があります。元々冨田勲さんと言えば日本のシンセサイザーミュージックの祖とも言える方ですが、楽器の音だけでなく歌声そのものも人間の声ではなく合成された音声で合わせたものを作ることは悲願だったそうです。初音ミクというボーカロイドの出現でそれが現実のものとなったわけですが、もし、事前に楽曲を準備して出演者を全てコンピューターグラフィック化して、冨田勲さんの音楽に合わせて動いたり歌ったりする作品が世界に向けて流れたら、それはそれで新型コロナに対抗するための手段として認知されただろうになと今さらながら思ったりします。

果たして本番の東京オリンピック開会式がどのように演出され、どんな音楽が流れるのかはわかりませんが、ここまでで多くの人の心の中に素直に楽しめない感情が生まれてしまったのではないかという心配もあります。そんな中で改めて、自分ならどんな音楽を世界に向けて発信したいかという話をするのも一つ大事なことなのではないかと思います。ここまで書いたことは、私自身車中泊の旅で日本全国の地方を回ったこともあり、都会的なものよりも地方の文化についての思い入れが探くなってしまいました。ただこれはあくまで私の場合ということなので、こんな時期だからこそ、皆さんなりの世界に向けての音楽とは何か考えてみるのもいいのではないでしょうか。

いじめる側の論理で世の中が動いていた? 小山田圭吾氏の雑誌での発言に見る時代の空気

東京オリンピック2020開会式を直前にしてその音楽を担当する小山田圭吾氏の過去の雑誌でのインタビューが物議を呼んでいます。この話題で、たまたまテレビを見ていたら爆笑問題の太田光氏が、その当時の時代的背景があってのものであるというような擁護を展開していましたが、その言葉を聞いて私自身思い出したことがあります。

現在手元に雑誌がないので正確な記憶に基づかないため雑誌の詳細についてはお伝えできませんが、当時小山田氏が在籍していたフリッパーズ・ギターをはじめとした当時の音楽についてアーティストを取り上げている雑誌があり、当時お目当てのアーティストのインタビュー記事があったので購入したのですが、その雑誌の編集後記に読者が投稿した編集部批判の内容の手紙を取り上げていたのですが、そこで語られていたのは内容についての話でなく、そのお便りの主が群馬県から手紙を送ってきたことを揶揄したやり取りでした。

映画「翔んで埼玉」で出てくるようなフィクションの元というのは、かなり露骨に関東の中でも北関東や千葉をさげずんだり、同じ東京でも車のナンバーで露骨に差別まがいの言動を行なうなど、「田舎者」と他者を貶めることによって自分の存在価値を得るような思想というものがその時代あり、一部のメディアでも容認されたいたことは確かです。

ただ私自身そうした媒体を見るにつけ、自分の事は棚に上げてその人の出身地域をあげて露骨に差別するような事は侮蔑の対象でしかなく、当時その雑誌を購入してしまったことを悔やんだ記憶があります。

ただ、そうした表現者の人間性とその人が作る音楽とは分けて考えるべきだという風に自分は思っています。人間性の内容は違いますが、過去好きでよく聴いていたミュージシャンは実に素行が悪く、情報紙に掲載されているライブハウスでのライブをすっぽかすのは当り前くらいの事をやっていたのですが、私を含むファンの多くは、調子が良く良い演奏をしてくれることを願ってライブハウスに通っていた人もいたと思います。

また、聞いていてとても耐えられないような内容を表現していたとしても、表現の自由という観点から出すことそのものを止めさせることはこれだけネット上で発表の機会(自由公開ではなく限定配信という方法もあるので)がある中、完全に無くすことは無理だと思います。問題は、そうした表現の自由に守られて多くの音楽活動をされる人がいる中で、日本全国そういった細かな事情を知らないような人も見ている中、東京オリンピックに関する楽曲の依頼を小山田氏にした側の問題が大きいと思います。

恐らく、今回の依頼に関わった人たちも当時のカルチャーの真っ只中にいて、そこで過去の自分の行動を楽しい思い出として昇華してしまったのではないかと私には思えます。大臣が言うように決して小山田氏について過去の雑誌媒体での発言を知らなかったのではないでしょう。特に今回のオリンピックはスポーツに政治が介入することを疑問視する人がいる中、もしアーティスティックなオリンピックのイベント演出や音楽なども政治と密接に関係する中で決まっているのだとしたら、今回もし開会式が行なわれるなら個人的には期待してワクワクすることはあまり無くなってしまうような感じがします。

逆に、そうした他人からの介入とは関係なく活動しているアーティストの作品にこそ、私自身の興味は向きます。本来はそうした半ば過激な表現をするアーティストを守ることこそ政治の世界が行なわなければならない事だと思うのですが、こうした点から言っても世の中は変な方向に回っていってしまっているということを感じざるを得ません。

スタジオミュージシャンは数々の音源を残すが 改めてライブの大切さについて想う

最近はなかなか車に乗る機会でもないとじっくり腰を落ち着けて音楽を聴く機会が無くなってしまいましたが、多くのジャンルを聴く中でより多く聴くジャンルは演奏中心のジャズをよく聴いていました。

ボーカル入りでなく演奏だけというのは慣れないうちはなかなか良くわからず、特にジャズのアドリブなどというものは、当時の流行した曲を聴いている耳には最初よくわからなかったのですが、当初は修行のようなつもりで何回も聴き込むうちにその違いや良さというものがわかるようになり、演者の演奏の差やテクニックの凄さというものも多少はわかるようになりました。

ジャズの世界では多少は名が知られている人であっても、それだけで生活をしている人はほんの一握りで、多くのミュージシャンは副業で食べていたと思います。それは音楽とは関係ないアルバイトだったりすることもありましたが、やはり技量のあるミュージシャンであれば音楽スクールの講師をしている人もいましたが、そうではなくあくまで音楽を演奏することで稼ぐ手段として、ジャンルを問わずスタジオミュージシャンとして多くのCD制作に関わったり、歌手のコンサートでのバックバンドをかけもちしたりする方も多くいました。

そんな中、私が今回紹介したい村上“PONTA”秀一さんの演奏と出会ったのは、サックス奏者の坂田明さんがグレイス・ジョーンズさんとSEIKOのコマーシャルで共演し「蕨Time!」と叫んでいた頃、その音楽を担当されていた坂田明さんのグループに参加しているレコード(まだCDの時代ではありませんでした)でその音楽を聴き、その名前を存じ上げるようになりました。

その後、たまたま学生時代に学園祭に来た女性アーティストのバックバンドの中にPONTAさんの名前を発見し、同じくジャズ好きな友人と一緒に見に行ったのですが、その時には女性アーティストさんには悪いと思いつつドラムの方ばかり見ていて、初めて生で見たPONTAさんのテクニックには大変感激し、それ以降レコードやCDではわからない音を感じるために積極的にライブに通うようになったきっかけを与えてくれた人の一人ではないかと今になって思います。

当時は、夏にはロックだけではなくジャズフェスティバルも数々行なわれていて、そうした所でもお見掛けし、また東京に出た時に誰かのライブのメンバーとしてドラムを叩いていたPONTAさんの姿も見ています。どちらかというと狭いスペースの方が演者の息づかいまで感じられるため、学生時代は食費をけずってライブに出掛けていましたが、現在はさすがに息づかいを感じられるようなライブを見に行くことは不可能なので、その点ではとても残念です。

その村上“PONTA”秀一さんの訃報が入ってきたのには本当にびっくりしました。70才という年齢はまだまだ演奏で私たちを楽しませてくれるだけのものであると思いましたし、急なお別れに、あわてて手持ちのCDをずっと聴いていました。

ミュージシャンはスタジオミュージシャンと言えども、ネット上にはかなりのデータがそろっていますし、そこから紐解いてYouTubeから実際の演奏を画面と音とで見ることもできますし、機材を揃えてCDで聴けば、まるでその場で叩いているような臨場感を持ってその人の音をずっと感じることもできます。ただ、やはり目の前で実際にその人の演奏を見て感じるということは大切だと思います。昨日はCDの音とともにテレビ画面に映した実際の演奏も沢山見ましたが、やはり現場で演奏を見ることができると、小さいライブハウスなら演奏後の雑談を聞いてその人が本当はどんな人なのか感じることもできますし、こちらから声を掛けて話をすることもできるかも知れません。

最近はバーチャルな体験に慣れてしまっていますし、実際の演奏を臨場感まで記録する方法も考えられていることも知っているのですが、それでもできれば実際に演奏している姿を見ながら感じたいと思わせてくれた私とPONTAさんの出会いがなければ、ここまで変わらずに音楽への興味を保ち続けていたか疑問なので、ライブの面白さということを多くの人に知らせ、ライブを楽しんでもらいたいと改めて思います。ライブハウスを運営されている方のご苦労は本当にお察しします。本来は音楽・演劇のような文化事業というのは政府がその規模に関係なく援助していく必要があるのではないかと思っているのですが、最近は飲食店という括りでの話はあるものの、具体的に映画・芝居・音楽をどう守っていくのかの話が出てこないのが残念です。

たまたまではありますが、私の住む静岡市でも今月いっぱいでそれなりに頑張ってきたジャズライブハウスが営業を終了するということを聞き、個人の力ではどうにもできない悔しさを感じます。村上“PONTA”秀一さんのご冥福をお祈りするとともに、今後も音楽のライブを楽しめる環境が無くならないよう色々と考えていきたいです。

ヤマハの「Distance Viewing」で全盛期のパフォーマンスの記録を

新型コロナウィルスの関係で、飲食業界とともに厳しいのが、エンターテインメント業界だと言われています。コロナ騒動の初期からクラスターが発生したことで今でもなかなかお客さんを多く入れての営業ができないライブハウスでは、ライブハウスのオーナーだけでなく演奏するミュージシャンも活動の場を奪われてしまっています。

2020年の10月にヤマハは、こうしたライブ・コンサートの臨場感を再現するためのシステム「Distance Viewing(ディスタンスビューイング)」を発表しました。ステージにおけるミュージシャンの動きをカメラで撮影し、大型プロジェクターを使ってライブの音と映像を再現するのですが、その際、ステージの照明のパターンやミキサーの操作情報もデータ化して、あたかも目の前でミュージシャンがパフォーマンスをしているような形でのライブ再現が可能になるという触れ込みです。

もちろん、全てが同じというわけにはいかないものの、現在のライブハウスでは店内を満員にするまで人を詰め込むわけにもいかない中、いったん記録したライブデーターを何回かに分けて上映することで、ミュージシャンの負担も少なくなりますし、ライブハウスの集客という点でも回数を分けることで集客力が高まる効果が期待されます。直接ミュージシャンと触れ合うことができないのはライブハウスの魅力を一部削ぐような事になってしまうところはあるのですが、バーチャルなライブの再現なら全国どこでも開催でき、それにリモートトークなどをからませれば、今までは大都市に行かなければ体験できなかったライブ感を観衆はある程度体験できるということにもなるでしょう。

個人的には、さらにシステムがバージョンアップして、ミュージシャン特有の音をできるだけライブ会場で直接聞くくらいまでレベルアップしてもらえると、コロナ関連ではない需要が生まれるのではないかと期待するところがあります。

どういうことかと言うと、いつの世にも「伝説の」と付くようなミュージシャンのセッションはあると思うのですが、これが音だけで記録されたものではなく、その時のミキサーの操作までライブ時と同じに保たれ、さらにその場の雰囲気もライティングで似せることができるとしたら、伝説の演奏というのはいつでもこのシステムを使って再現できるということになります。

つまり、このシステムで現在の最高のライブパフォーマンスをあらゆるジャンルに渡って記録することを続けていければ、例えば私たちがモーツァルトの指揮するオペラの記録やジャズのチャーリー・パーカーのセッションを当時の雰囲気そのままでライブ会場に出向けば見られるようになるくらいの事が未来には起こるということになります。逆にそうなると、現役のミュージシャンは過去の伝説のミュージシャンと比べられてしまうというところがありますが、逆に自分の能力を伸ばす上での格好の材料にもなるのではないでしょうか。

さらにこのシステムを使う場合、個人レベルではなかなか記録されたライブを再現するだけの設備を用意できないので、ライブハウスの営業自体を食うようなこともないという点でしょう。コロナ後の社会ではライブの予定のない時間帯に過去の名演を楽しむような形で、ライブハウスの集客力もアップするのではないかと思いますし、今後のシステムのバージョンアップでどんなものができてくるのか、個人的にも楽しみです。

デジタルデータの連続性について考える

最近、もっぱら音楽はCDを買わずに聞き流すように楽しむ「ストリーミング再生」で楽しんでいます。ただ、私自身は音声単体でのストリーミングサービスにはお金を出してはいなくて、アマゾンのプライム会員なら利用できる「Prime Music」を主に利用しているのですが、このPrime Musicの仕様が、一定の期間を過ぎると今まで聞けていた楽曲やアルバムが聞けなくなったりするので(プライムビデオでも同じような事があります)微妙に音楽を楽しむには苦しいこともあるので、せめてお気に入りの曲だけでも所有していつでも聞けるようにしておこうと思うこともあります。

ただ、私自身は物心ついた時から音楽はストリーミング配信で楽しむという世代ではなく(^^;)、お金を節約して多くのジャンルの曲を聞くためには「レンタルレコード(のちにCD)」や図書館で音源を借りて聞いたり、その中でどうしても所有しておかねばならないと思ったものについては高いお金を出してCDを買っていた世代になります。

当然、iPodのようなデジタルオーディオが出る前から音楽を外に持ち出しており、その形態は「カセットテープ」「MD」「CD-R」というように変遷してきました。このうち、一枚の単価が安く、そのまま古いカーオーディオにかけられるCD-Rについてはかなり使いました。さらに、オーディオに付いているCDプレーヤーによっては単なるCDのコピーではなく、通常のCDの収録時間の10倍くらいの音楽を入れられるように元データを圧縮し、MP3形式にしてCDに焼くなんてこともしていました。今でもこの方式なら、ジャンル別でもバラバラでもランダムにいろんな曲をCD一枚にまとめることができ、さらに特別な機器も必要ないので、自分の持っている音源をMP3形式に圧縮してパソコンのハードディスクやデジタルオーディオ・スマホやタブレットなどに保存していました。車中泊の旅で長時間の運転をする時には、一回入れると700分以上聞いていられるMP3形式のファイルを焼いたCD-Rは本当に重宝しました。

そうして昔作業した音源の多くが、昔買って今も使っているiPad miniの中に大量に入っていることがわかりました。パソコンの方は色々あって廃棄を繰り返してきたので、今使っているパソコンの中には昔の音源は入っていなかったのですが、かつては圧縮した音をiPad miniにまとめていたんだなあと思うとともに、これをどうにかして今使っているパソコンのメモリーに移し、自由にまた聞けるようにしようと思って色々調べてみました。

元々これらの音源はアップルから購入したものではなく、所有していたCDから抽出し、圧縮したものなので個人で楽しむ分には著作権の問題はクリアしているものばかりです(当時はネットから不法に楽曲をダウンロードしているような人もいたようですが、そうした音源の二次利用は危険ですのでご注意下さい)。というわけで、iPadとパソコンを繋いだのですがそのままでは本体のカメラで撮った写真にしかアクセスすることしかできませんでした(^^;)。

そこで、改めてiPad本体の内容をバックアップし、そのバックアップしたデータから中味のファイルを書き出すソフトがあることがわかり、「iBackupBot」を使って何とか音楽ファイルをパソコン上に書き出すことができたのですが、そこからが大変でした。

というのも、ファイルのプロパティにはきちんと「アルバム名」「曲名」「アーティスト」「トラック番号」のデータが残っていたのですが(CDを取り込む時、CDに記録されたデータも読み込むことができるのです)、iPadからコビーしたファイルは全くランダムなファイル名になってしまっていたのです。

ということで、現在はその中で早く聞き直したいアルバムについては手動でファイル名を変更して元通りにして、デジタルオーディオやスマホでも簡単に再生するための作業を行なっているところです。改めてその音源を聞いてみたのですが、圧縮してもジャンルによっては普通に聞くには問題なく、もちろんデジタルデータなので音質の劣化は全くありません。このデータを改めて購入する場合、MP3形式であってもけっこう費用がかかることを考えると、過去の自分がまめに自分の好みの楽曲をMP3形式にしておいて良かったと感じます。今後は圧縮したMP3形式のデータをクラウドにアップして、手持ちのどの端末でもストリーミング配信形式でいつでも聞けるようにしようかなと目論んでいます。そのためにはそれなりにレスポンスの良い回線を持つことが必要になるので、そういったことも合わせて今後のモバイル回線の展開も考えたいですね。

東京オリンピック延期で変わってほしいこと

ようやく日本政府もIOCも現実的な対処を行なったということでしょうか。翌年に東京オリンピックを延期にするなら、そもそも今後確執を生むと思われる男女マラソンの選考レースを順延したり、聖火関連のイベントを強行することもなかったのではないかと思いますが、すでに代表を決めている選手も、まだ決まっていない選手についても、とりあえずは新型コロナウィルスに感染しないということを第一に考えて行動するようにできるということは素直に良かったと言えると思います。

今後はいろいろなことが変わっていくでしょうし、かなり厳しい現実も突きつけられることも出てくると思いますが、今回はちょっと趣向を変えて、今回のオリンピック延期を明るい方向で考えてみたいと思います。発生がアジアからだったということで、これだけ悪くなったアジア圏のイメージを払拭するだけのパフォーマンスを競技ではもちろんですが、改めて日本でのアートや音楽についても、今後何を世界に発信するのかということを改めて考えて欲しいと思ったりします。

今年オリンピックが開催されるなら、日本のアニメやアイドルグループ、ポップミュージック、それにNHKでずっと流してきた「パプリカ」あたりで開会式閉会式を盛り上げ、クールジャパンをアピールするようなイメージだったと思うのですが、特にこれだけ昨年のうちに流行りのピークを迎えてしまった「パプリカ」のようなイメージソングが来年までその勢いが持つのか甚だ疑問です。昔から日本の祭りというのは疫病をやっつけるためにハイテンションで一気に駆け抜けるようなものも多くあるので、折角なら今からでもオリンピックの開会式閉会式の企画を変えてでも、その日本らしい力がほとばしるような人たちを檜舞台に挙げてほしいと思うわけです。

上の動画はデビュー30年を過ぎてようやく世界から見つかって、EUライブを成功させた「人間椅子」というバンドのUKでのライブの様子ですが、ほとんど現地の人たちが、全編日本語の曲に大きな喝采を送っているのを見ると、改めて世界に通用する芸術というものが海外ミュージシャンへのリスペクトだけではなく、演じている彼らの土着性にあることがわかります。

人間椅子のデビューからのオリジナルメンバーである和嶋慎治氏と鈴木研一氏は、ともに青森県弘前市出身で、隣の青森市で行われる「ねぶた祭り」とは違う「ねぷた」のリズムがその根底にあることでしょう。どちらかというと「ハネト」と呼ばれる踊り手と立体的な山車が注目され、明るく飛び入りもできそうな(私自身実際に青森の知り合いにお願いして、ハネトの中に入ったことがあります)「ねぶた」とは違い、扇形の山車に描かれた絵と、ともに繰り出す囃子や掛け声を楽しむ「ねぷた」のちょっと怪しい世界を人間椅子は表現しているようにも見えます。

もちろん、「ねぶた」も「ねぷた」も海外からも大勢の観光客が来るお祭りなのですが、広く受けそうなねぶたよりも、日本人にとっても怪しげな日本のリズムが、かえってインターナショナル的な魅力を持って2020年の現代、海外からも支持されていることも事実です。まだ新型コロナウイルスの影響で、多くのミュージシャンがライブ活動ができないのが残念ですが、この騒動が収まったあとで今回紹介した人間椅子のような人たちが、こうしたパフォーマンスを世界に発信する機会が今回の大会延期によってできてくれればいいなと思ったりします。

ラジオ録音はパソコンに移行しているが

本日の朝、NHKラジオ第一の10時台「すっぴん!」では、ジャンルの垣根を超えて活躍しているマルチリード奏者の梅津和時さんが出演されるとの話を聞きました。昨年のブログで書かせていただいたジャズピアニストの佐山雅弘さんがお亡くなりになってから、その翌日に訃報が飛び込んできた、梅津さんとともにバンド活動やロックバンドのRCサクセションのサポートメンバーとしても活躍された片山広明さんが急逝されたとの報道があり、本日の放送はその追悼の意味も込めて行なうということです。

もともと、私の車中泊趣味というのは東京の中央線沿い西荻窪にあるライブハウス「アケタの店」のマスターでご自身もジャズピアニストである明田川荘之さんが全国をライブツアーで回るのに、お金がない事からご自身の車で車中泊をしつつ、全国の温泉に入りながら回ったという話を聞いて自分も全国いろんな所を回ってみたいと思って始めたというところもあります。その当時には「アケタの店」には梅津さんと片山さんの所属する「どくとる梅津Band」(のちにDUBと改名)もよくお出になっていて、間近に素晴らしい演奏が生で聞けることに感動し、地方から何回も通ったものでした。

片山さんは実に茶目っ気のある方で音も自由奔放で、さらに大きなガタイをしているのでRCサクセションのステージでもかなり目立ち、ファンの方なら良く知っていると思います。ただ、無類の酒飲みで私が聞いた話ではとある友人のお見舞いに病院に行ったら、顔色がおかしいと見とがめられ、自分が即入院になってしまうような事があったそうです。ミュージシャンとお酒というのは切っても切れないものだとは思うのですが、体調を崩した原因がお酒にあったとしたらと思うと大変残念です。

そうした個人的にも思い入れのあるミュージシャンのセッションというのは、やはり聞いておきたいところなのですが、平日の朝ということですとなかなかラジオを聞くということはできません。できればビデオのように予約して録音しておくことができればいいのですが、最近ではあまりラジオをタイマー録音するなんて話題はなく、確か少し前に内蔵のメモリにタイマー録音できるラジオやICレコーダーがそれなりに売れていたということはありました。

しかし、最近にいたってはそうした高性能の録音機能付ラジオというものを電気店で見掛けることも少なくなりました。私の持っているラジオは高性能とは言っても災害用などに特化したものが多く、シンプルで壊れにくい反面、多機能ではありません。逆に多機能だと一つの機能が使えなくなってしまうと製品としての魅力も無くなってしまうというところもあります。

そこで、改めて色々調べてみたところ、やはりというかWindowsのフリーソフトでradikoやらじる★らじるの仕組みを利用してインターネットラジオをタイマー録音できるものがあることがわかりました。それが「radikool」というソフトです(リンク切れなので以下のリンクを解除しました)。

https://www.radikool.com/

昔はAndroidスマホやタブレットでタイマー録音できるアプリもあったのですが、このソフトでも番組表をクリックするだけで録音予約が完了し、録音ファイルをOneDriveやDropboxの指定したファイルに置いておくことができるので、スマホでもクラウドアプリを入れておけば、内容をダウンロードしてすぐにスマホで録音した番組を聞くことができるようになります。

私の現在のパソコンの中には、Windowsが搭載されたタブレットもあるので、そのタブレットの方で予約を行ない、今後はラジオ録音を主にそのタブレットでして、必要に応じて聞こうかなとも考えていますが、アプリやソフトもフリーで手に入り、安いWindowsタブレットだったら1万円以下でも入手可能な状況を考えると、なかなか高性能であっても録音機能付ラジオは売れなくなってしまうのかなと感じます。何しろ、インターネットが安定して使える場所なら、ラジオではモノラルの放送でも、きれいなステレオ音質で聞けますし、月額料金を払って全国の民放が楽しめるradikoプレミアムに入れば、全国の放送を録音し放題になります。昔は高い高性能ラジオに大きなアンテナを繋いで、遠くの放送局を雑音混じりに受信し、さらにその番組をカセットテープで録音していたことを考えると、「インターネットが高性能ラジオを殺した」という状況がすでに生まれています。

もっとも、高性能ラジオが全て無駄だとは個人的には思っていません。もし停電したらインターネットも使えなくなりますので、情報はラジオが主になりますが、ひどい災害で首都圏のラジオ局が電波を出せないような状況になったとしたら、頼りになるのは昼間でも遠方の高出力の放送局を受信可能な高性能ラジオであると言えます。個人的にはICF-EX5MK2がおすすめだと思うのですが、最近はネットを見てもかなりプレミアが付いてしまっています。基本的に1万円台で買えなければ、他のホームラジオで十分だと思いますが、つくづく災害用ラジオとしてのICF-B100をソニーが製造中止にしたことが残念です。

過去に書いたICF-B100のエントリーについて、一応リンクを貼っておきます。もしフリーマーケットや中古品を扱うお店のジャンク品の中にこのラジオを見付けたら、ぜひ手に取ってみて下いね(^^)。

http://syachu.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/sony-icf-b100-e.html

ジャズピアニスト 佐山雅弘さんの思い出のアルバム

昔と今とでは音楽の楽しみ方にも違いがありますが、今のようにネットでのストリーミングサービスや動画サイトから世界中の音楽を見たり聞いたりできることが当たり前になっているのは本当に羨ましいと思います。というのも、音楽と言えば公式に売られているレコードを買うか、ラジオで流れるのを聞くぐらいしか出来なかったため、情報は雑誌頼みでさらにマイナーなジャンルである日本人アーティストの奏でるジャズが昔から好きだった身としては、なかなかラジオでも流れないのでなけなしの小遣いからレコードを買うのに直接聞くこともなく全く内容がわからないまま雑誌の内容を鵜呑みにしていたのでした。

そんな中で、日本人アーティストのジャズの新譜など、ほとんど出なかった時代に若手アーティストのリーダー作を出したシリーズというものがありまして、それが「サウンドデザイン」というところの、「ライブハウスの人気者たち~THE SUPER GIG SERIES」でした。そして、記念すべきシリーズの第一弾として最初に出たのが今回紹介したいジャズピアニストの佐山雅弘さんの初リーダー作「スバトット」だったのです。

もし、このシリーズのトップバッターが佐山雅弘さんのアルバムでなかったら、実際のところ私自身がここまでジャズを聞き込むようになったかは疑わしかったとすら思います。それくらい最初に針を落として聞こえてきた「Bird like」(フレディ・ハバード)から「THERE WILL NEVER BE ANOTHER YOU」(ハリー・ウォーレン)へと続く流れは素晴らしく、佐山雅弘さん自身も一気に人気ピアニストへの道を進んで行きました。

1980年代当時には日本のジャズプレイヤーはいわゆる夏フェスに多く出演していまして、イベントに参加することで今度は佐山さんの演奏している姿を生で見ることができ、その人柄にも触れることができました。たまたまその後、佐山さんのもとで一緒に仕事をしていたという人と知り合う機会があり、ジャズから演歌の伴奏まで仕事としてこなす佐山さんの事を伝え聞くことができました。

最近の様子は当然YouTubeやオフィシャルサイトで確認していたのですが、病気になり往年の恰幅の良さは影を潜め、相当痩せていることにショックを受けたものの演奏の内容は素晴らしく、11月14日の突然の訃報にはただただびっくりしているというのが正直なところです。

そんなわけで、ここで改めて紹介したいのが、デビューアルバムに収録されていた中でも個人的には思い入れのある「THERE WILL NEVER BE ANOTHER YOU」を佐山さんが演奏している動画です。若々しさは当然レコードの方があるのですが、この演奏も実に良く「大人の演奏」といった雰囲気を醸し出しています。この音を聞きながら、本日はこのまま佐山雅弘さんを偲ばせていただこうと思います。故人のご冥福をお祈り申し上げます。

生の感動に触れる機会

唐突な話ですが、日本の男性アイドルの中でも「新御三家」と言われた方々のうち、西城秀樹さんが歌われた「走れ正直者」という楽曲をご存知でしょうか。著作権上の問題があるため具体的なリンクはここでは紹介しませんが、楽曲名で検索をかけたり、ストリーミングによる有料の音楽サービスを利用すればわざわざショップに買いに行かなくてもパソコンやスマートフォンから直接その曲を聞くことができるかと思います。

この曲はTVアニメの「ちびまる子ちゃん」のエンディング曲として使われたものですが、ネットですぐに出てきたウィキペディアからの情報によると、元々西城秀樹さんのファンだった作者のさくらももこさんが西城さんサイドにお願いし、アニメのエンディング曲として西城さんご自身が歌唱することになったということで、西城さんのシングル曲としてはちょっと毛色の変わった楽曲になっています。

「ちびまる子ちゃん」を読まれている方には今さらという話なのかも知れませんが、まる子ちゃんの同世代の方々で、彼女の生まれ故郷である静岡市周辺にお住まいの方なら、なぜ作者自身の投影であるまる子が西城秀樹さんの事をこれほど好きなのかということについて、ピンと来るものがあるのではないかと思います。

静岡県におけるテレビの民放はTBS系列の静岡放送(SBS)が最初で、今もラジオとテレビの放送を行なっています。その静岡放送が8月のイベントとして過去に行なっていたのが「フェスタしずおか」という夏休みに行なわれていた企画で、静岡市中心部の駿府城公園に仮設されたオープンステージには様々なアイドルや歌手が登場したのですが、今のロックフェスのように入場券などは必要なく、誰でも無料で見られたという事に大きな特徴がありました。

「ちびまる子ちゃん」の作品の中に、『「まる子フェスタしずおかに行く」の巻』という回があるのですが、この回はもちろん作者のさくらももこさんが実際にイベントに出向いた時の経験がちりばめられています。

ネットで調べると何でも書いてあるもので、この回は1975年の第4回だったのだそうですが、西城秀樹さんは1973年の第2回からの出演で、何とその後も出演を続け、「フェスタしずおか」といえば「西城秀樹」というようなイベント自体の顔として特別に静岡県民に親しまれたという事があります。

これは、誰でもそう思うことでしょうが、テレビで見ているだけでなく実際に目の前で歌っている姿を見たり、周りが人だらけで全くステージが見られなくても、同じ場所に有名人がいるという経験をしただけでも、それが後も自分の記憶として強烈に心に残り、その人がテレビに出ていたりすると応援したいと思うこともあるはずです。

これは私がさくさももこさんに確認できるはずもないので、あくまで推測の域を出ないところではあるのですが、彼女の小学生の時の強烈な「西城秀樹体験」が大人になっても心の中に残っていたからこそ、西城さんのファンを続ける中で自分の作品のエンディング曲として歌ってもらう機会が現われ、見事にそれが実現したのではないかと考えることもできます。

どちらにしても、もし静岡放送が夏のイベントで誰でも自由に招聘したタレントを間近に見られる機会を作っていたからこそ、当時の小学生・中学生など、とても自分のおこずかいではコンサートへ行くことも難しかった中で当時の一流のショーを見る機会に恵まれたのでした。そんなショーを見た多くの子供たちは、さくらももこさんのように直接何か目に見える方ではなくとも、何らかの影響があったのではないかと私には思えます。

現代は音楽については細分化が進み、なかなか家族そろって同じコンサートを見に行く機会もないと思いますので、なおさらこうしたイベントを開催する意味があるのではないかと思います。実は今年になって「フェスタしずおか」は静岡放送開局65周年の行事として復活し、昨日は西城秀樹さんも出演しました。残念ながらその日のセットリストには「走れ正直者」はないのが残念でしたが、ツイッターのつぶやきを見ると、ヤングマン(YMCA)を歌ったときにはステージは大盛り上がりだったそうです。私はというと、前日の土曜日に出掛け、その日のトリであった「サンプラザ中野くん」と「パッパラー河合」さんのステージを堪能させていただきました。

来年以降もイベントがあるかはわかりませんが、単なるイベントであっても、このような機会を作ってくれる所に住んでいたり、家族で出掛けられる方々は幸せだと思います。ここでは音楽フェスティバルの話になってしまいましたが、人の人格形成において、小さな頃に本物を体験することは改めて大事な事であるとも思えます。

旅行に出掛けてテレビでしか見たことのない物が実際のところどうなっているかを感じたり、普段食べることのできないご当地食を食べるだけでもその後の人生において大きな価値を生み出すことになるかも知れません。皆さんも、もし出掛けられる時間とお金があれば、普段の生活ではなかなか経験できない事を経験できるうちにやってみてはいかがでしょうか。