4Gまでの移動通信の進歩を辿る(2)写メールの登場とPHS

前回から引き続き、第二世代携帯電話の話から入りますが、スカイメールと同じJ-PHONEが2000年11月に発売した携帯電話「J-SH04」は、それまでの携帯電話とは違う特徴「本体内蔵カメラ」を持っていました。詳しくは型番で検索していただければと思うのですが、それまでの携帯電話には今では当り前に付いている「カメラ」がなかったのです。

このJ-SH04のカメラは約10万画素というまさにおもちゃレベルで、さらに今のように自撮り用のカメラがない代わりに、いかにもアナログ的なミラーが付いていて、鏡に自分の姿を写すようにして自撮りするようなものでした。ただ、当時は携帯電話にカメラが付くというのは実に画期的で、これによりJ-SH04で撮った写真をメールに添付して送るという「写メール」という言葉が一般化するきっかけになりました。

日本のガラケーからスマホへとつながる機能の中には、「防水・防塵」がありますが、これもガラケーにカメラが付いたことで、あらゆる状況で手軽に写真を撮って送ることができるということで、単なる移動通信端末というよりも、カメラ単体のハードの売上にまで影響を及ぼしているという点において、一般の人の生活にも影響を与え、スマホの時代になった今でもさらにカメラは進化していて、ある意味デジカメやビデオカメラを持たなくても何とかなる時代になっています。J-SH04という端末の出現というものは、ここまでのモバイル通信の歴史を考える中でもかなり大きな転換期を生みだしたと言えるでしょう。

というのもその後、ガラケーやスマホのカメラが高性能になっていけばいくほど、写真や動画の画質が良くなり、ファイルも大きくなっていきます。カメラが進化していく過程の中で問題になったのは、せっかく撮った写真を送ったとしても、通信方式の限界によってアップロードにもダウンロードにも時間がかかるだけでなく、当時はまだデータ定額制の契約プランがなかったので、いい気になって最高画質で写真を送った場合、送る方もそうですが、それとは知らずに画像をダウンロードすることによってデータ通信量が膨大なものとなり、翌月の携帯料金の請求が膨大なものになる「パケ死」という金銭的な破綻と隣り合わせだったということが、新たなデータ通信方式の登場を後押しした部分もあったのではないでしょうか。

このパケ死対策として、携帯電話のキャリアに先んじて画期的なプランを出したのは、携帯電話とは方式が違う後発の公衆通信システムであったPHSのウィルコム(現Y!mobile)でした。当時のスピードは最大32kbpsから64kbpsという今から考えると激遅のものでしたが(現在のスマホで大手キャリアから速度制限された時のスピードは最大128kbpsなので、今の実感では低速がさらに制限されるくらいの遅さですが)、当時はそれでも2年契約になりますが月4千円弱の支払いで時間と料金を気にせずにネットが使えたというのは大きな進歩でした。

さらに、カード型の端末を今でいうスマートフォンのようにPDA(電子手帳やパソコンとシンクロさせてアドレスや予定、メモなどを持ち歩ける小型端末)に差して、フリーのブラウザアプリやメールアプリを使ってパソコンのように使う事もできましたので、私自身はかなり早いうちから手の中にインターネットがあるような体験をしていたことになります。こんな体験ができたのも、PHSが当時の携帯電話のキャリアの物足りない部分を満足させるようなプランを出してくれたおかげだと思っています。

その後、ウィルコムでは二つ折りのガラケーで、当時のiモードなど携帯専用のネットのように特別な料金もかからないOperaというフルブラウザ(パソコンと同じようにネットを使うイメージ)によるインターネットが使え、写メールを送受信でき、パソコン用のメールアドレスの読み書きもでき、ケーブルを使えばパソコンに繋いでインターネットもできるという京セラ製のAH-K3001Vという画期的な端末(通称・京ぽん)が発売され、その後遂にというか日本で最初に発売されたスマートフォンであったシャープのW-ZERO3(OSはWindows Mobile)が発売されるにあたっては、一般的にはそこまで知られてはいなかったものの、外で自由にネットを使いたい人にとっては今のスマホに限りなく近いハードが出現したことに興奮し、通信機能の付いた電話のできるパソコンを持ち運ぶことによる楽しさや旅行時の快適さというものを人より先に満喫していました。

ただ、大手キャリアは実にしたたかで、PHS陣営がこうした画期的なネットと通話のできる端末を導入してきたことで、同じように使えるスマートフォンを発売することになり、それがW-ZERO3とは比較にならないくらいの大キャンペーンがはられて広く「スマートフォン」という概念が知られていくことになったのです。それが第3世代通信の仕組みを使った「iPhone 3G」でした。

ここから一気にAppleとGoogleが違うOSを使ったスマートフォンを出していき、PHSはその力を失なっていきます。その中で、何とかもう一度復活しようと起死回生の策として「一回10分月500回まで」という通話定額のプランを出したのですが、これも大手3キャリアが同じプランを出したことによって、通話音質は抜群でもエリアが携帯電話のそれと違って狭くてピンポイントでしかないPHSはほぼ息の根を止められてしまいました。

現在私は安いMVNOのデータ通信と、ガラケーによる通話定額を使い分けているのですが、これらのプランはPHSという業者がなかったら大手キャリアが提供をしたかどうかは疑わしいので、現在のモバイル環境を作ってくれたという意味で、日本でのPHSの失敗は残念ではありますが、iPhone以前にスマホの概念を知り、その便利さを広めてくれたことに今でも感謝しています。(つづく)


カテゴリー: モバイル関連コラム | 投稿日: | 投稿者:

てら について

主に普通の車(現在はホンダフィット)で、車中泊をしながら気ままな旅をするのが好きで、車中泊のブログを開設しました。車で出掛ける中で、モバイルのインターネット通信や防災用としても使える様々なグッズがたまってきたので、そうしたノウハウを公開しながら、自分への備忘録がわりにブログを書いています。

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