一人の命はオリンピックより軽いのか

日本の政治の歴史を紐解く中で、印象的な言葉があります。かつて、行動派左翼として国内外で様々な事件を起こした日本赤軍の起こした事件の一つ「ダッカ日航機ハイジャック事件」です。

この事件は日本航空の国際便を日本赤軍の構成員が乗っ取り、多額の身代金と日本の刑務所に収容されている仲間らの釈放を求めました。当時は福田康夫氏の父親である福田赳夫氏が自民党総裁と内閣総理大臣をしていた時代で、当時の日本政府は苦しい判断に迫られました。

ハイジャック実行グループの要求をすべて飲むのか、それとも限定的に飲むために時間を掛けて交渉するのか、はたまた一気に実力行使で解決を図るのか。現代の思考では左翼など潰してしまえと勇ましい意見が大勢を占めるかも知れませんが、当時の内閣総理大臣・福田赳夫氏が述べたと言われているのが「一人の生命は地球より重い」という言葉です。

今では考えられませんが、日本政府はハイジャック実行グループの要求を飲み、超法規的措置で一部の人間を刑務所から出獄させ、日本赤軍に合流させました(一部の人達は個人の意志で日本赤軍からの誘いを断った)。こうした日本政府のテロ対策というのは、当時から弱腰だと批判されたところはあったかもしれませんが、この事件の一部始終を見ていた多くの人は、日本政府は何よりも国民の命を大切に考えてくれると思ったでしょうし、それが当時の日本政府の思惑に沿ったものだったのです。

テロというのは政府要人を狙うこともありますが、そうして政府のリーダーや国民にとって象徴的な人を直接狙ってしまうと、かえって国民全体の怒りに火を付けるような事になってしまい、かえってテロ組織の存在自体が危うくなります。テロ組織にまともかまともでないかという言い方をするのはあまり良くないかも知れませんが、少なくともまともな組織なら、多くの支援者を組織が得るためには闇雲に殺戮を繰り返すよりも人命を尊ぶことをアピールするほうがいいに決まっています。逆説的に言うと、だから多くのテロ組織が一般人を狙った人質事件を起こすということになるのでしょう。

政治の取引でなんの関係もない自国民がバタバタと亡くなっていくとしたら、それは政府の政策自体が国民の反感を買い、政府自体が世論の盛り上がりによって倒れる可能性も出てきます。福田赳夫首相はそうしたことも考慮した上で政府要人とは全く関係ない日本人の乗客の命を守ろうと思ったところで「一人の生命は地球より重い」という言葉になったのだろうと思うのです。

しかし、現代の日本では当時と同じ自民党政権に過去の歴史を振り返ること自体がないのか、日本国民の命は今までにないほど軽んじられているように思います。オリンピックが正式に延期されると発表されるまでは、ここまでの首都圏における外出制限を要請することもありませんでしたし、オリンピック関連のイベントに人が集まることについて強く意見することもありませんでした。

さらに、オリンピックが延期になったあとから急に東京での新型コロナウイルスの陽性患者が増えたというのも、単純にオリンピック延期を機に検査を増やしたのかも知れないのではとつい疑ってしまいますし、もしかしたら今の政府は「一人の命は東京オリンピックより軽い」と思いながらここまで動いていたのかと思うと、どうにもやりきれません。

今後の新型コロナウイルスに対する検査数が増えるに従ってさらに感染者が増えることは当然考えられますので、不要不急の外出は避け、家に引きこもるという要請は正しいとは思いますが、今後この国では本当に国民のためを思って政策を行ってくれるかということについては残念ながらとても期待できないというのが個人的なここまでの状況を見ての感想です。不要不急の外出を自粛しろと言いながら飲食店や農業従事者、観光業の方々を支援しようというのは国民に呼びかけることではなく、そうした業種の方を含めた全国民に生活支援を政府が考えた上で外出の自粛をお願いするのが筋だと思います。マスクの流通を確保するといった話は一体どこに行ったのかわからないまま、不安だけが増大する恐れが強い今後の社会を何とか乗り切るために、いろいろなことをこれからも考えていこうと思っています。


カテゴリー: 防災コラム | 投稿日: | 投稿者:

てら について

主に普通の車(現在はホンダフィット)で、車中泊をしながら気ままな旅をするのが好きで、車中泊のブログを開設しました。車で出掛ける中で、モバイルのインターネット通信や防災用としても使える様々なグッズがたまってきたので、そうしたノウハウを公開しながら、自分への備忘録がわりにブログを書いています。

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