危険な年代というものはあるか

 大阪・寝屋川の中学生2人が被害にあった事件がありまして、犯人は当初10代の若者の集団ではないかとテレビのコメンテーターが語っていたのですが、この文章を書いている現在、実際に逮捕されたのは40代の男性とかなり見立てとは違ってしまいました。

 ここで、テレビコメンテーターを責める意思というのは私にはありません。ただ、一般的に「危険な年代」というと、どうしても10代から20代のやんちゃな若者を思い浮べてしまいがちですが、そうした考え自体を改めるべきではないのかと今さらですが思うのです。

 小説家でショート・ショートの大家であった星新一さんの作品の中に、その名の通り「危険な年代」という作品がありました。その作品でも当初はそれらしい犯罪容疑を掛けられた若者にスポットを当てるものの、本当にその若者の犯行なのかと感じた語り手である主人公さえも、あえて真実には目をつぶり、容疑をかけられた若者を助けることを放棄します。それは、その事件に関わった大人の中で、もしかしたら自分の子供が真犯人ではという疑問を浮かべてしまったからで、子を思うあまり真実から目を背ける親の世代こそ危険な世代ではないかというオチなのですが、現代はさらにいろんな層にわたってさまざまな危険な人たちが存在するように思います。

 30代以上の人の中で、社会への大きな憎悪として持ち続け、大きな事件を起こす人もいますが、単に日常生活のストレスがたまって暴力事件へと発展するケースは大人であればこそ起こることで、そこに年代によるくくりはないものと考えていいでしょう。つまり、危険な年代があると言うよりも、いつ爆発するかわからないさまざまな世代の人が今の世の中にはうようよしているのではないかと思うのです。

 世の中には幸せで今の生活に満足している人だけが暮らしているわけではありません。一見幸せそうな生活を送っていると思われる人でも、決してその人の人となりについて触れてはならない場所というのはあるでしょうし、それが例えばお酒に酔っていてつい口にしてしまってトラブルになる場合もあるでしょう。そういう場に遭遇してしまったら、大人ならすぐに謝ったり、すぐにその場から立ち去ったりすることでいくらでもトラブルを回避することはできます。しかし、相手の事を思いやることなくずけずけと物を言い、さらに追い討ちを掛けるような事をついやってしまうかも知れないのが、人生経験の浅い若年層になるのですね。

 今回の寝屋川の事件における動機はわかりませんが、もし今回の実行犯(これを書いている時点で逮捕されたのが実行犯でない可能性もあるので、一部は想像で書いている部分がありますのでその点はご了承下さい)に対して、普通の大人だったら触れない、その人にとっては決定的な一言を言い放ってしまったことが今回の結果の原因だとしたら、本当に不幸であったとしか言えません。これからは一般論になりますが、口は災いの元と言いますが、今の世の中では本当にたった一言を言ってしまったことで悲劇につながることが普通にあるわけですから、小学生や中学生レベルでも、見てくれだけで人を判断せず、思った通りの事を口に出さないように大人が教えてあげた方がいいと思うのです。今回の事件の詳細はこちらで考えたこととは違うかも知れませんが、休み期間中は児童・生徒が単身で繁華街に出て、いい大人とトラブルになる可能性は決して低くはないと思うので、今回のような事件に巻き込まれないためにも、子供が知らない大人に対応する場合はかなりナーバスになるべきではないかと個人的には思います。

 車中泊スポットでもトラブルになるのは、何かあった際に事を荒立てるようにできないまま、お互いの口の利き方が悪かったりする場合が結構あります。こちらは悪くないのに、かなりひどい事を相手から言われたとしても、あえて冷静に対処することが大きなトラブルを未然に防ぐようになると思います。人の集まるところには必ずトラブルが有り、トラブルメーカーは見てくれや年代とは関係なく誰もがなる可能性があります。せっかくの旅行を苦い思い出にしないためにも、相手の様子を見て避けるところは避ける判断をしていくことが大事だと私は思います。


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