radikoとraziko

 インターネット網の発達と、デジタル化が行なわれたテレビによって、果たして私たちの生活は豊かになったのでしょうか。先日、他の地方に比べて遅れていた東北地方の地デジ化が完了し、アナログによるテレビ放送は完全に姿を消しました。政府としてはあの東日本大震災は全くの想定外のことだったでしょうが、今からして思えばあそこまで費用をかけて日本のテレビを全て地デジ化するためにお金をかけなくても、一部BSやネット経由の配信という手段もあるわけですし、今後のためにも検証してみる必要はあるでしょう。

 デジタル化が完了した今でもなお、日本のテレビは視聴者が自由にチャンネルを選んで見られるようになることにナーバスになっています。例えば私の住んでいる静岡県で言えば、東京キー局のうちテレビ東京の番組をリアルタイムに見ることはできません。しかしながら、かなり前から一部の難視聴地域対策として、東京で放送されているものと全く同じチャンネル構成の放送をBSの一部のチャンネルで同時放送しています。しかしながらこれらの放送を見るためには、その難視聴地域周辺が同じキー局をネットしている事が必要で、たとえ静岡県内の地デジが映らない地域の人が申請し、認められたとしても静岡県の他の視聴者と同様、テレビ東京だけにスクランブルをかけた内容でしか視聴が可能になりません。こういった制限さえなければ、車中泊の旅で日本中どこにいても、BSが車内で受信できるシステムを作るだけで、ワンセグなどが入らない地域でも普段と変わらない番組を見る事が可能です(旅先までテレビは見たくないというご意見もあるでしょうが(^^;))。

 こうした動きについてはラジオでも同じで、現在パソコンやスマートフォンでラジオが聴けるアプリradikoでは静岡なら静岡ということで他のエリアの放送局はいっさい聴けないようになっています。一時的ですが昨年の東日本大震災の際には制限なしに全国の放送をradikoで聴く事ができました。その頃に改めてインターネットを通して日本中のラジオがクリアな音質で聴ける事に気付き、らじおではなくパソコンやスマートフォンを介してラジオ放送を聴くスタイルに目覚めた人も多かったのではないでしょうか。

 しかし、そのような特例措置も今やはるか昔のように感じられるほどになってしまったのですが、先日まで一部の人たちは自由に全国の民放ラジオ局を聴いて楽しんでいました。アンドロイドOSの端末に限りますが、ちょっとした抜け穴があって、アプリ名では一字違いのrazikoというアプリを追加で導入することによってradikoに参加している地域のラジオ放送なら全国どこでもアプリ設定でエリア変更をすれば聴くことができたのでした。

 そうした状況を快く思わなかった方もいたことでしょうが、この4月9日からradikoのアップデートによってraziko自体がエリア変更が全くできなくなり、今までネットを通して自分の居住する場所以外で放送されているラジオを聴きたいと思っていた人にはつらい変更になってしまいました。現在は一応マーケットでアプリをダウンロードできるようにはなっていますが、そのままでは使えず、素人ではできないような設定の変更をしないとエリア変更しては使えないようになってしまっています。結局のところ、radikoの仕様変更に対応できなかったというところなのだと思います。

 将来的にどうなるかはわからないものの、現状ではユーザーとしては正直にradikoで提供されるまま地元の放送局を聴くしかしょうがないのでしょうし、私のようにお金をかけて遠距離受信をするために高性能のラジオやアンテナを揃える人も少数派でしょう。ただし、装備にお金を掛けたにしても、FMは遠距離受信は運頼みといったところがあり、AMは夜間は遠距離受信が可能なものの昼間の放送ははっきり言って無理です。地元局以外の朝やお昼のワイド番組を楽しみにrazikoを使っていた方にとっては楽しみにしていた番組を聴ける見込みはなく、下手をしたらラジオ聴取自体を諦めなければなりません。

 かたくなに越境しての視聴や聴取を妨げる人たちがいて、そのためにせっかくBSやインターネットでつながっているにも関わらず見たり聴いたりできないのでは、私には放送そのものの魅力も半減してしまうような気がしてならないのです。もしかしたら再度razikoが使えるようになるかも知れませんが、また同じように対応されるイタチゴッコが続くのでは意味がありません。このような流れからすると実に皮肉なことですが、放送格差とは関係のないNHKラジオ第一が全国の民放の人気番組に取材に行って、そのパーソナリティーと番組を紹介する「亀渕昭信 にっぽん全国ラジオめぐり」という番組が評判を呼んでいます。この番組で紹介された番組を聴こうとrazikoを使って定時放送を聴かれる方もいたでしょうに。

 特にラジオというメディアはradikoのサービスが行なわれる前には積極的に聴く人が少なくなってきており、ラジオ関係者はこのままでは更にラジオ離れが進んでしまうのではないかという危機感があったように思います。偏狭な縄張り意識で制限をするものではなく、とにかく多くの人にラジオの良さをわかってもらうために相互乗り入れをしてでもラジオ習慣を付けてほしいという想いが亀渕氏のラジオから感じられただけに、今だに地方の枠にこだわっているradikoの中の人たちとの違いをしみじみ感じます。

 ラジオ好きの私としては、インターネットを通して聴けなくなった状況の反動でラジオの売り上げが延びてくれればそれはそれで嬉しくもあるのですが、上記で述べたような設備投資しても聴けない放送局があるという物理的な問題およひ、日本のメーカーのラジオに対する思い入れというのはほとんどないに等しく、高性能のラジオというジャンルにおいては、実のところお隣の中国のメーカーに現状では大きく遅れているという事も気になります。このまま手をこまねいていては、せっかく育ちつつあった日本における新たなラジオリスナーの芽を摘んでしまうような気がしてなりません。技術的に簡単にできる事が、特定の人たちの思惑で簡単にできなくなってしまうというのは本当に悔しいですね。


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