車を運転するディメリットに対抗できるメリットは

昨日車を運転していて、久し振りにヒヤッとする体験をしました。細い道を一応制限速度の30km/hを守って走行していたのですが、自転車に乗っていた高齢者の方が、明らかにこちらの方を気にせずに横断歩道のない道路を横断するために出てきたのに出くわしました。

その方は農作業にでも行くような感じで麦わら帽子を深くかぶっていて、恐らく左右の視界がかなり狭くなっていたのだろうと思います。ただ、その場では自分だけが危ないと思っただけで、相手の自転車は何事もなかったかのように道路を渡って行ってしまいました。こちらはビクッとしたものの、はたから見たら事故にもなり得ない状況だったかも知れませんが、もしその人に気付くのが遅れてしまったらと思うと本当にぞっとしました。

ただ逆の立場で考えてみると、そうした自動車の運転手の考えとは違う自転車を運転する方の事情というものを理解することができます。例えば、私が雨の日に自転車に乗る場合、フードを付けたままで運転するような場合に左右がフードに邪魔をされてよく見えなくても、車の気配を感じなければ前だけに集中してそのまま出てしまうことは有りえます。もちろん、交通ルール遵守という観点で言えば自転車にもそれ相応の過失はあるわけですが、もし実際に接触したり衝突したとしたらやはり車の方の過失というのは大きく取られてしまうでしょう。改めて自動車を運転することの責任の思さを感じた体験でした。こうした気持ちを大切にして、とにかく先の状況を予測して危険を未然に防ぐことが大事なのですね。

ただ、ここから問題にしたいのは、ちょっと違う観点からの今回のような「車を運転することのディメリット」についての話です。というのも、私がここで書くまでもなく車を買うことだけでなく免許すら取らなくてもいいと考える人たちが増えていて、免許を取って車を買わないのにはそれなりの論理があるという話も聞きます。どうしても自ら移動のできる交通手段がないと困るような所に住んでいれば別ですが、曲がりなりにも公共の交通機関があり、近所の移動なら自転車で十分というような場合、あえて自動車の運転をするために免許を取り、実際に車を持たなくてもいいという考え方になるということは、ごく普通にある考えではあります。ただし私が様々なところでそんな話を読んだ限りにおいては、今まではそのコストの面から説明されることが多かったように思います。

限られた土地しかない首都圏で車を所有して利用するには駐車場代がかなりかかりますし、車を所有し運転するなら車両代はもちろん、税金やガソリン代、保険や整備代などかなりの金額が毎年飛んでいくことを覚悟しなければなりません。しかし、さらなる車を運転するリスクとしては、単にお金の問題ではないと言うこともできると思います。

これは、実際に免許を取得する前の教習や、免許更新の際の講習でも言われている事ですが、免許を取ってハンドルを握るだけでも生活する中でのリスクが増えます。事故を起こした際の責任について、相当の過失があると判断されれば警察に逮捕されて警察に拘束される危険だけでなく、そのまま家に帰れずに刑務所に入る可能性もあります。そしてたとえ事故を起こさなくても小さな違反を警察に見られれば、どんなに急いでいても現場で聴取され、反則金の請求を受けることになります。

近くのコンビニに買い物に行くのに車やバイクを使って出掛けた先で事故や違反を起こしたとしたら、もし車でなく歩いて行っていればという後悔が当然出てくるでしょう。このような事実を分析する中で、あまりにも運転することのメリットが薄いと考えた人たちが免許も取らず車も購入せずという行動を起こしている可能性もあるわけで、それこそ完全自動運転の車をメーカーが開発しようとしているのも、さもありなんと思うわけです。

そのような事実認識のもと、車に乗らない人たちから常に検挙される危険を避けるために車に乗らないと言い切られてしまうと、確かにそうではあると思うのですが、そう思っていても毎日車に乗るような生活を選んでいる方にもそれなりの理屈はあります。前述の公共交通機関があまり発達していない地域に住んでいたり用事で行くことが多いような場合は、どうしても自動車を運転することが必要になるということはあるのですが、それ以上に大事だと私が思うのは、車を持っていれば個人や家族単位での外部と遮断された空間を確保できるという点です。

それこそ、このブログの名称にもなっている「車中泊」にも関わってくる事なのですが、いつでも必要に応じて利用できる「動く個室」を持つということは、普段の生活の中でもあると有難いですし、非常の場合では特に頼りになります。移動できる住居としてリアカーに普段は載せておき、必要に応じて展開することで個室になる「モバイルハウス」を作り、移動する時にはリアカーごと移動するという方法もありますが、それなら軽トラにいろんなものを積んだり、車内に就寝スペースを作ったりしてそのまま移動してしまう方がスマートです。さらに道さえあればどこでも行けるというのは自動車ならではというメリットです。

現代における危険というのは様々ありますが、私自身が心底恐しいと思ったのは、その対象が見えない放射能の恐怖です。先週2017年9月17日の報道で、富士山周辺の地域で採取された、いわゆる「山のキノコ」という形で売られてもいる野生のキノコの中の一つ、アンズタケの中の1検体から食品衛生法の基準値(1キロ当たり100ベクレル)を超える130ベクレルの放射性セシウムを検出したというニュースがあり、2つの事を思いました。

第一は2011年の福島原発の事故から6年経っても依然としてこうした危険が身近に起こっているということと、第二は福島県からかなり距離があるはずの静岡県でこのようなニュースが普通にあるということです(この件については最近起きた福島県での山火事で、除染処理されていない山林からの飛来物が静岡県まで飛んできたのではという話もありますが、それが正しいかというのはわかりません)。

もし私の住んでいる所に近い原子力発電所からひどい放射能漏れが起きたら、できるだけ早く風向きとは反対方向に全力で逃げるためにはやはり自分の運転する自動車がないと安全は確保できないでしょう。家族の中で誰も自家用車を持っていない場合、もし何かあった場合にすぐに避難することは難しいでしょうし、そうして待機している間にも自分や自分の家族に影響が出るようなことがあったらと思うといたたまれません。

10代20代の方々が車を持たず運転もしないという傾向は今始まった話ではありませんので、今後はゆるやかに自家用車が減っていくことが予想されますが、車を運転しないのが全て良く、運転することでのディメリットしかないという考え方というものがもしあったとしたら、それも必ずしも100%正しいとは言えないのではないかと思うところもあります。個人的には常に緊張感を持ちながら事故や違反を起こさない運転をするという事しかディメリットを避ける方法はありませんが、今後の自動運転の技術が進む中で、今まで考えられていた車を運転することのディメリットが軽減されるような未来が来ることを願わずにはいられません。


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