「子どもの安全をどう守る」とともに考えたい「大人の自制心」

川崎市の登戸駅周辺で起きた複数の子どもと大人を巻き込んだ殺傷事件は、関東一帯で米国大統領の訪日に合わせた警備体制の中で起こってしまいました。今回の事件はいわゆる自爆テロのような事件ではありませんでしたが、犯人とされる人物は刃渡りの長い包丁を隠し持っていたと言われ、犯行のために手袋をするなど、挙動不審な人物というだけではなかなか警備の網にひっかかることは難しく、改めて市民の安全を警備で守ることの難しさというものを感じることになっていました。

事件を報道した直後のテレビでは、いかにして今回のような事件が起きた場合に身を守るかということを中心に報じているのが目に付きましたが、ここではあえて、加害者になり得る「大人」に犯行を思いとどまらせるという立場から考えてみることも必要なのではないかと思います。どういうことかというと、銃を発射することはないものの、大人が刃物を持って暴れる中では安全に避難することは難しく、全く気付かない中で後ろから襲われたら、屈強な体力を持つ大人であっても安全とは言えないでしょう。今回の事件は交通事故でもなく、その後の報道によるとピンポイントでスクールバスから降りた児童とその周辺の大人を狙って襲撃し、その後の展開で逃げようとは思わずに覚悟を決めで自決するような思い詰めた大人の引き起こした事件になるので、何とかそんな行動を止めるような事前の策がないかという風な考え方です。

このような事件はまれにではありますが、日本でも起こることがあります。欧米のように銃を持って手当りしだいに乱射することで多数の被害者を出す事件こそ起こりませんが、今回のように刃物を持って大人数の弱者の群れを襲うような事件が起こったり、車を凶器代わりにして歩行者の列に突っ込むような暴挙に出るケースも過去にはありました。今回の犯人は絶命してしまったのでその動機を自白することはできませんが、過去の事件をヒントにして考えることは可能かも知れません。

更に範囲を広げて考えてみると、今回の事件のように無関係な一般人に危害を加えることはなくても、小規模な社会システムを巻き込む個人の行動というのはそこそこあります。例えば、私達が毎日利用している電車を止めて通勤通学の足に大きな影響を与えるような行動を取るような人は後を絶ちません。電車のホームにドアを設置し、東京オリンピック・パラリンピックの期間中にはホームの監視を人海戦術で行うことで悪質な飛び込みは防ぐことはできると思いますが、監視の目が緩むことでいわゆる事故的にホームから落ちることは減っても、ホームの柵を乗り越えて線路に下りるようなところまでは、完全には防ぐことはできないでしょう。

今の社会では残念ながら、立場が弱く直接的に救わなくてはいけない幼児や児童・高齢者へのサポートはあっても、青年~中年にいたる引きこもりの人や、働いていてもそこでストレスを溜め込んでいるような大人の心のケアを社会が面倒を見るところまではとてもできないので、そうしたサポートから漏れた人へのセーフティネットなどは現状の日本の社会では夢のまた夢でしょう。そんな中で社会に適応できない人は不安だけが増大し、普通の精神状態では全く考えないような事をしでかすことも起きてしまっているというのが実情ではないかと思います。

今回の川崎での事件についても犯人の男は事前に何かしでかすのではないか? という行動を取っていたという情報も出てきています。多くの場合は実際に行動を起こすまでに至らないのがほとんどなのでしょうが、社会が個人に多少でも歩み寄る中である程度社会の存在を感じてもらうことができれば、同じ行動を起こそうと思ったとしても迷いは出てくるのではないでしょうか。この方法で全く今回のような事件を防ぐことができない事はわかっていますが、やはり悪いのは加害者の方であるのは間違いないので、加害者予備軍に事件を起こさせないようなスタンスで、一見しっかりしていそうな「大人」の心に関するケアについて考えていくことも必要なのではないかと感じるところです。


カテゴリー: ノンジャンルコラム | 投稿日: | 投稿者:

てら について

主に普通の車(現在はホンダフィット)で、車中泊をしながら気ままな旅をするのが好きで、車中泊のブログを開設しました。車で出掛ける中で、モバイルのインターネット通信や防災用としても使える様々なグッズがたまってきたので、そうしたノウハウを公開しながら、自分への備忘録がわりにブログを書いています。

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