明治時代の植物学者というより語学・民俗学にも通じ、歩く百科事典と言われた紀州の人、南方熊楠は、今で言うエコロジストのはしりであったと言われています。時の政府が神社合祀令を出した時にも、小さな神社が大きな神社にまとめられることによってその地に生きている言い伝えや貴重な植物など、そこに神社があるおかげで守られてきたものがなくなってしまうということからかなり大きな論陣を張って神社合祀令に反対したことは良く知られています。
ただ、地元の人からすると、大きな建物が立つことに反対していた南方熊楠は、地元に郵便局ができるという時には反対しなかったという話も伝わっています。彼はイギリスに留学していた時からイギリスの科学雑誌「ネイチャー」に寄稿していて、生涯では51もの論文を紀州田辺から送っていたということです。インターネットのない時代、通信を担うのは物理的な原稿の送付であり、さすがの熊楠も、自分の考えを世界に広めるためには郵便局の建物には反対しなかったという話があります。
こうしたことは現代でも言えることで、現在はインターネット網が国内に張り巡らされたことで、日本のどこにいても自分の考えや作品を発表することができるようになりました。買い物でも、わざわざお店に買いに行かなくてもネットショッピングを使えば家にいながらにしてあらゆる物を注文でき、驚くべき早さで手元に届きます。ただそれは、昔から変わらず日本国内の物流の力があってこそのもので、インターネットが発達すればするほど、物流もそれに追い付くように進化していかないと、日本国中どこでも同じように生活ができるという、今のような便利なサービスもなくなってしまうかもしれません。
日本では郵便局が民営化されたことにより、大手の宅配業者が郵便局がそれまでやってきたサービスを提供するようになり、私などは一時期ネットオークションで出品したり落札するような場合には、郵便局より安い、ヤマト運輸の「クロネコメール便」を利用させていただいていました。その時にはヤマト運輸も信書の取扱いをするのか、そうなると郵便局はどうなってしまうのかとも思っていたのですが、さすがに郵便局より安く配達するためには、それを届ける人が必要で、全国津々浦々までそうした組織を作ることは難しかったのか、まず個人利用のメール便が使えなくなり、今回はヤマト運輸がついにメール便自体を止めるというような発表がありました。
ニュースでは2023年10月には「ネコポス」のサービスが終了、2024年1月末で「クロネコDM便」も終了するということです。ただ、ヤマト運輸では荷物の引受は行ない、その荷物は同じようなサービスを行なっている郵便局に回され、配達の方を郵便局が行なうことでヤマト運輸と日本郵政が合意したということです。
インターネットを利用したフリマの需要は今後もまだあると思いますし、このサービス自体が無くなってしまうと、特になかなか買い物に出掛けられない地方の人たちにとって不利な状況になります。そこで、一部の例外をのぞいてほぼ日本全国の配達をカバーしている郵便局にヤマト運輸が事業を移行するということになると思うのですが、これは一連の流れを見ている私としては、何とも言えないような気がします。
そもそも、ヤマトは規制緩和を目指し、本格的に郵便事業に参入しようとしたものの、規制をくずすまでには至らず、手紙などの信書は郵便局しか扱えないまま個人で利用可能なメール便から手を引くわけです。ヤマト運輸がこうした判断をしたのには、はっきり言って書類や手紙を扱ってもなかなか儲けるのは難しいという理由もあるのではないでしょうか。ただそうした判断は、今後小型の荷物や書類を一手に扱うことになる(佐川急便はすでに郵便局に移行しているとニュースでは報じられていました)日本郵政もしなければならなくなるかもしれません。今後こうした小さな荷物を扱いあぐねた場合(儲けが出ても人手が足りなくなることも考えられます)、もし郵便局がこの事業から撤退してしまったらと思うと、その不安感が生じてしまいました。
そもそも、ある意味採算を度外視しても全国の家々に郵便物を届けるという目的のもと国家の事業としてはじまった郵便事業は現在民営化され、普通の会社と同じように儲けを出すことを目的として現在は事業にあたっています。一体化していた貯金・保険も郵便事業から切り離され、独立採算で経営が行なわれています。ニュースでは他社(ヤマトや佐川など)と競ったメール便事業で勝ったというような解説をされているところもありましたが、そもそも全国一律サービスで儲けを出すのは難しく、本音を言えば郵便会社もこのままヤマトや佐川から引き受けた小型の荷物を運ぶような仕事はやりたくないのではと思うのです。
個人の見解では、宅配便と分ける形で安く全国に送ることのできる手段があればこそ、全国どこにいてもインターネットを通じて商売ができたり、不要なものを処分できたり、必要なものを安く買うことができるわけで、今回の決定にほっとはしているものの、さらに運送業で働かれる人が少なくなったり、条件が悪くなったりすることで状況はどう変わるかも知れません。
これは流通だけに限る話ではなく、このまま高齢化が進み、人々の多くが今まで使っていた自家用車を手放さなくてはならなくなった場合の公共交通機関についても言えます。国鉄がJRへと分割民営化されたことで、新しい自動運転車や電気自動車を利用できない(購入資金だけの問題でなく自宅に充電場所を確保できない場合も十分に考えられます)場合、住んでいる場所によっては日常的な買い物にも困るようになります。さらに、物流でも採算が取れないと一部地域へのサービスが無くなったり、他の地域より高額な料金が必要になるということになれば、今後の地方のあり方にも関わってくるでしょう。せっかく、インターネットの発達によって全国どこでも同じサービスが受けられるようになっているのですから、今後もそうした状況が変わらないよう、特に地方に住む人が困らないような社会的なインフラをいかにして守っていくのか、みんなで考えていくべきではないかと思うのですが。