首里城の火災に思う

たまたま昨日、なぜか午前3時過ぎに目が覚めて、それでも二度寝しようと床に入りながらテレビを付け、24時間ニュースを流し続けるNNNニュース24を見ながら再びうとうとしかけたところ、急に画面が切り替わりLIVE配信のニュースが報道されました。それが沖縄県のシンボルとも言うべき首里城で火災が起こったというショッキングなニュースでした。

第一報では単に事実をコメントで伝えたのみだったので、その時点ではどのくらいの規模の火災なのかもわからないような状態だったので、急いでニュース番組のはしごをして見たのがあれだけの大きな建造物が数時間で燃え尽きて倒れる瞬間でした。

首里城は何度も沖縄に行く中で一回だけ行って中まで入ったことがあります。当時は空の色と雲が見事で本殿の姿もかなり映えていましたし、中についてもきれいな装飾がされていたことを覚えています。ただ、後から調べてわかったのですが、内部装飾をひとつ作るにもかなり大変だったという話も聞きました。

この写真は王の玉座がある部屋ですが、その上に「土世山中」という文字があります。実はこの字の並びは左から右でなく、右から左に読むので(^^;)、正しくは「中山世土(ちゅうざんせいど)」というのがここに書いてある文句です。その意味は、「琉球は中山(琉球国王)が代々治める土地である」というもので、まさに玉座の上に飾られるのにふさわしい語句です。

この文字の書かれた額は普通にかかっていてあまりその時には注目しませんでしたが、第二次世界大戦で焼失するまでは、清の第4代皇帝である康煕帝の筆によるものだったそうですが、この額の文字はその康煕帝の文字を復元しているのだそうです。もちろんオリジナルのものは戦火で焼失しているわけですから、どうして復元したのか気になりますが、この額を作るにあたり、関係者は中国に残る康煕帝の書いたと言われる書物を漁り、同じ文字を抜き出したり、もし同じ文字がない場合は(このフロアには両側にも一枚ずつの文字の書かれた額が置いてあります)丹念に康煕帝の文字のクセを洗い出し、康煕帝ならこう書いただろうというアプローチでフロアの装飾を完成させたということです。

このように、何とかしていにしえの首里城を復活させたいという熱意によってあの建物は作られ、それが世界文化遺産になったわけですから、建物自体は新しいとはいえ、そこには沖縄の歴史そのものが集まっているようなものであり、今回その象徴である首里城が再び焼失してしまったわけですから、とにかく地元沖縄の方々のショックはどれだけ大きいかということがまず心配になります。

まだ起きたばかりの事について書いているので、原因の追求ということにかかるのにもしばらく時間がかかるでしょうし、簡単に再建ということも言えないような状況ではあるのですが、やはり首里城のない沖縄では困るということもあるでしょう。今回の災害というのは自然の脅威というものとは違いますので先だっての台風や大きな地震とは比べられない部分はありますが、とりあえずは今後の報道を静かに見守っていきたいと思います。


カテゴリー: 旅行・交通関連ニュース | 投稿日: | 投稿者:

てら について

主に普通の車(現在はホンダフィット)で、車中泊をしながら気ままな旅をするのが好きで、車中泊のブログを開設しました。車で出掛ける中で、モバイルのインターネット通信や防災用としても使える様々なグッズがたまってきたので、そうしたノウハウを公開しながら、自分への備忘録がわりにブログを書いています。

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