三遊亭円楽さんの突然の訃報によって考えるべき「病気との付き合い方」

昨日、テレビのニュース速報のテロップを見てはっとしました。落語家の三遊亭円楽さんの突然の訃報でした。日本テレビ系「笑点」のレギュラー回答者として、円楽襲名前の「三遊亭楽太郎」の頃から活躍していた方で、72才という年齢は、落語家としてはまだまだやれる年齢であり、更に芸を磨いて私たちに素晴らしい噺を聞かせてくれるはずだったのにと思うと、本当に残念です。

2022年1月に脳梗塞を発症し、リハビリの結果、高座にも立てるようになったことは知っていたのですが、その後肺炎を起こしてまた休業となり、心配していました。報道によると死因は肺がんとありまして、脳梗塞になる前から肺がんの治療をしていたそうですが、どちらにしてもご本人はまだまだやれるという気持ちはあったのではないでしょうか。

今回の訃報を聞き、作家の坂口安吾さんのエッセイ「青春論」の一節を思い出しました。友人で詩人の菱山修三氏の実体験を語ったものですが、以下に引用させていただきます。

(ここから引用)
菱山の話によると、肺病というものは、病気を治すことを人生の目的とする覚悟が出来さえすれば必ず治るものだ、と言うのであった。他の人生の目的を一切断念して、病気を治すことだけを人生の目的とするのである。そうして、絶対安静を守るのだそうだ。
その後、僕が小田原の松林の中に住むようになったら、近所合壁(かっぺき)みんな肺病患者で、悲しい哉、彼等の大部分の人達は他の一切を放擲(ほうてき)して治病を以(も)って人生の目的とする覚悟がなく、何かしら普通人の生活がぬけきれなくて中途半端な闘病生活をしていることが直ぐ分った。菱山よりも遥かに軽症と思われた人達が、読書に耽ったり散歩に出歩いたりしているうちに忽ちバタバタ死んで行った。治病を以て人生の目的とするというのも相当の大事業で、肺病を治すには、かなり高度の教養を必要とするということをさとらざるを得なかったのだ。
(引用ここまで)

円楽さんの闘病生活について私は知る立場にはないので、この話はあくまで推察の域を出ません。ただ、それくらい今斃れるには惜しい才能を亡くしたという絶望感が強く、何とかならなかったのか? と他人ながら思ってしまったのです。

私たちも病気との付き合いは大小いろいろあると思います。その中で、お医者さんに安静と言われた場合はある程度今までの生活を投げ出しても病気を治すことに専念することが大事ではないのかと改めて思った次第です。常に自分の体に自信を持っている方であっても、お体を大切にして再び健康な体を取り戻すまでは病気の快癒を目指していただきたいと思います。故人のご冥福をお祈りいたします。

カテゴリー: おくやみ | 投稿日: | 投稿者:

てら について

主に普通の車(現在はホンダフィット)で、車中泊をしながら気ままな旅をするのが好きで、車中泊のブログを開設しました。車で出掛ける中で、モバイルのインターネット通信や防災用としても使える様々なグッズがたまってきたので、そうしたノウハウを公開しながら、自分への備忘録がわりにブログを書いています。

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