高齢ドライバーが免許を返納する事が増えた原因になったとも言われる、東京・池袋での自動車が暴走まがいの走りをし、歩行者が複数犠牲になった事故について、裁判の流れがニュースで報じられその内容が話題になっています。
というのも、事故当初は加害者側が自分の運転に問題があるような事を言っていたと(これは警察経由による情報)いう事件報道があったものの、裁判では加害運転者がそうした証言を否定し、乗っていた車の欠陥ではないかと自身の無罪を主張したことで、多くのリアクションが出てきているようです。
ご家族をこの事故で失くしてしまったご遺族の方にとっては、最愛の家族を失くした悲しみや苦しみ、そして怒りをどこに向けていいのかということで今回の運転手の証言には怒りや戸惑いとともにやるさなさを感じてしまうところではないかと思います。同様に、小さいお子さんをお持ちの方にとっては、いつこうした事故に自分の身内が巻き込まれないとも限らないので、今後の裁判の結果がどうなるのかということについて関心を持たれている方も多いと思います。
私自身も車を運転しているので、いつ事故の加害者になってしまうかわからない中で車を運転しています。もし今回の裁判で今回の運転者の証言が嘘であって、高齢ドライバーの判断力や反射的に危険を回避する能力の欠如が事故に結び付いた事が証明されれば、今以上に高齢ドライバーが運転を続けることに対しての社会の風当りが強くなるでしょうし、今後高齢ドライバーでも自動車自身によるアシストによって悲劇的な事故を防ぐような車の開発を待つ形で車に乗り続けるかどうかの判断が迫られるのではないかと思います。
ただ、裁判の流れによって加害者側の主張が通り無罪になる確率は0%ではありません。日本の場合は起訴された時点で有罪の可能性が99%と言われているので、残りの1%の可能性を無視するわけにもいきません。過去には今回の事故とは違いますが、本当は自動車に重大な欠陥があったのにその事実がかくされたことによって、起訴された運転手が粘り強く自動車の欠陥を見付け出し、その結果無罪を勝ち取った人もいます。
ただ、その場合は検察が主張する車両関連の情報について、反論し自説を明らかにするための証拠が必要になります。普通に考えると簡単に今までの流れをひっくり返すことは大変難しい状況があるのですが、それでも裁判が終わるまでは憶測に基づいて軽々しく語ることは避けた方がいいと思います。
まさか日本の大手メーカーがこれほどひどい事故を引き起こす車の欠陥を隠すとは今までの報道を見る限りは考えにくいですが、個人的に思うには、普通のドライバーなら全く問題がなくても、高齢ドライバー特有の動きによって運転を誤るかも知れない、少しでも改善の余地があるような不安な点が車の構造だけでなく装備の中にあるとしたら、加害者をどうこうというよりも、同じ不安点をなぞるような形で同様の事故が起こらないようにしてほしいということはあります。
もちろん、そのようなわずかな不安点が出てくることも現状ではなかなか考えられないとは思います。ただアメリカでは車のマットの不具合でアクセルが回ってしまって死亡事故が起きるという、普通ではちょっと考えられないような事も起こっていますし、個人(加害者)や企業の体面というよりも、今後同様の事故を生まないような形で事故を未然に防ぐという観点から、今後の裁判が進んでいってくれることを個人的には希望します。