陸前高田にある「ジョニー」という喫茶店(1)

 秋保温泉で朝風呂と朝食を買い、仙台南インターからさてどこへ行こうとカーナビをセットする際、とりあえずと目的地として入れたのが大船渡でしたが、カーナビが割り出した到着時間予想を見て気が変わり、目的地を大船渡より比較的早く到着する陸前高田にある奇跡の一本松(地図には高田松原の記載があるところです)に変更しました。カーナビの案内通り高速道路で一関まで進みましたが、さすがにゴールデンウィークと言うべきか、出口のところがかなりの渋滞になっていました。仙台を出発した時点では到着予定がお昼前になっていたのですがこの渋滞によって12時から13時くらいまで押してしまっていたのですが、山道はスムーズに進み、とりあえずは海岸まで出ようと車を走らせます。

 山道を行く間はほとんど震災の影響を感じることはありませんでしたが、突然線路が途切れているのを発見してからはまったく違った景色が現れました。津波の影響で家が流され、瓦礫を除去したことで広大な更地が広がっているという、テレビでは何度も見た光景が現実にそこにありました。お店は営業を再開していましたが、そのほとんどがプレハブで、復興とはまだまだかけ離れているなと実感しました。しばらく陰鬱な気持ちでハンドルを握りながら目的地の一本松へ向かっていたところ、プレハブの店舗の中に「ジャズタイム ジョニー」の文字を見付け、あわてて車を停めたのでした。

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 実は私は、今回紹介する喫茶店「ジョニー」目当てに陸前高田を訪ねたことがあります。その当時(20年かそれ以上前の話です)にはこのお店は単なる喫茶店ではなく、ジャズをこよなく愛す店主がその趣味をそのままつぎこんだようなかなり特徴のあるお店でした。国内外から有名なジャズミュージシャンを招聘したり、お店独自のインディーズレーベルを作ってレコードを販売するなど、交通の便の良い都市ではなく、陸前高田という町でやってしまうというお店のバイタリティは全国のジャズ関係のお店の中でも傑出していたように思います。私は音楽全般が好きですが、特に日本人奏者のジャズはこだわりを持って昔から聴いていました。当時の「ジョニー」は日本ジャズ専門店という看板をかかげて営業していたこともあり、東北旅行で陸前高田のユースホステルに宿泊することになったのを機に、お店を訪れようと店の前まで行ってみたのでした。しかし残念ながらその際には、お店休みだったのか入口が閉まっていて、当時の独特なジャズを奏でる空間に遭遇することはできなかったのでした。そんな風に目の前まで来て入れなかったということもあり、私の中で陸前高田と言えば「ジョニー」というお店の事が気になっていつつも、再訪することができないまま時が過ぎてしまいました。そして、あの大震災の日を迎えたのでした。

 震災によって被害を受けた地方がテレビや新聞で次々に報道される中、陸前高田の状況を見た時、すぐに「ジョニー」はどうなったのかと思いました。もちろん、マスコミではこういったピンポイントの情報など得ることはできませんでしたが、インターネットによってある程度の情報が関係者ではない私にも入ってきます。その際インターネット検索で調べて初めてわかったのですが、陸前高田の「ジョニー」は震災前にはすでに濃いジャズを提供するお店ではなくなっていたそうで、ジャズ好きのマスターは盛岡に移られ、そこで新たなジャズスポットとしての同名店を営業していました。では陸前高田の「ジョニー」はどうなったかというと、以前はお店の厨房にいた店主の奥様だった方が新しいマスターとして営業を続けていたとのことでした。盛岡に移ったジョニー店主氏のブログからは陸前高田の店は津波の被害を受け全壊してしまったものの、マスターの命は助かったという事だけはわかり、ほっとはしたものの、では今「ジョニー」という店がどうなってしまったのかというのは全く存じ上げないままでした。そこに、突然に営業しているらしい「ジョニー」の看板を見付けてしまったのです。この時には奇跡の一本松の事はどこかに飛んでしまい、とりあえず入ろうと店の前の営業時間を確認すると、幸いにも12時からの営業となっていました。もし一関インターでの渋滞がなければ店は開いていなかったでしょうし、入る前からちょっと運命的なものを感じていたのでした。((2)につづく)


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