AR(拡張現実)における効果と慣れ過ぎる危険も

ARという言葉をスマホゲームのポケモンGOによって知ることになった方も多いかと思います。日本語にすると「拡張現実」と言います。目の前にある自分の目で見た現実とは別に、スマホのカメラを通すことで現実の世界の中にあたかもポケモンが現われたような錯覚に陥るかのごとく、現実の世界に組み合わせて仮想のものをつけ足すことで、誰もが当り前にスマホを持つことによってARの世界を感じることができるようになってきました。

この物事を自分の目を通して見るのではなく、スマホのカメラを通してスマホの画面で見るということは、何も付加価格を加えず、スマホの画面に映っている風景だけでも、現実に目の前で起こっていることでもあたかもスマホでワンセグのテレビを見ているような感じになります。こういう感覚がおわかりの方は、例えば目の前で大変悲惨な事が起こっているような場合、現実を直視せずにこれは夢に違いないと思いながら現実を一瞬やり過ごすことも可能かも知れません。

以前のブログで書いた記憶があるのですが、過去の東日本大震災において大きな津波を受けて、その津波に多くの人がカメラを向け撮影した映像が残っていますが、これはもちろん記録として残す使命感に駆られた事はあるでしょう。ただ、その中にはこんな悲惨な状態を受け入れることができず、デジカメやスマホの画面に映ったものを見ながら逃げることで、現実逃避をはかった人もいるのではないかと私自身が想像する部分もあります。

もし私自身が地震に限らず大きな災害や事件に遭遇し、そのあまりの凄惨な現場に動けなくなってしまったような場合でも、その場から速やかに逃げなくては自分自身の生命も危ぶまれる場合もあるかも知れません。そんな時に一つの方法として、その場で起こっている現実を当面は直視せず、スマホのカメラを付けてその画面を見ながら(記録や録画はしなくても)その場から逃げるというのはモバイル機器を介してARという仕組みを使うという、いざという時の避難対策になるのではないかと思えます。私自身そこまでの極限状態になったことがないのでこうしたARの助けを借りないと動けなくなるかどうかはわかりませんが、もしも動けなくなった場合の対策として心の準備だけはしておいた方がいいかなと思っています。

このように、うまく使えば現実を直視せずに済むということで人間の感情を抑えるという助けになるのではないかと思うARですが、これを犯罪行為の中で使うとどうなるかという危惧もあります。これは、過去に実際にあった事件においての話ですが、少年同士でいじめをしていて、それがエスカレートして死に至った事件において報道されたことですが、暴行する様子をスマホのカメラで撮影していたという事が報道されたことがありました。

なぜ凄惨な現場を撮影するのかという心理についてあえて考えてみると、これもやはり目の前で起こっていることを直視することができないからついカメラを向けてしまい、現実逃避をはかっているという風に推測する部分もあります。

こうした行為自体をやめさせるということは難しいかも知れませんが、ARの助けを借りることで罪の意識を軽くするというのはあまりいい事とは思えません。大切なのは、こうしたARを使うことの功罪をしっかり把握した上でスマホを使うようにすることではないでしょうか。


カテゴリー: モバイル関連コラムコラム | 投稿日: | 投稿者:

てら について

主に普通の車(現在はホンダフィット)で、車中泊をしながら気ままな旅をするのが好きで、車中泊のブログを開設しました。車で出掛ける中で、モバイルのインターネット通信や防災用としても使える様々なグッズがたまってきたので、そうしたノウハウを公開しながら、自分への備忘録がわりにブログを書いています。

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