年賀状は将来的には消えていく運命ではあるものの簡単になかったことにして良いのか

今年の秋から郵便料金が上がり、ハガキや封書に貼る切手の値段が上がることが発表された今、来年の年賀状はどうしようと思っている方は多くいるのではないかと思います。こちらの方は細々と出し続けていて、昨日発表されたお年玉付年賀ハガキの当選番号には何とか切手シートが当たるくらいの年賀状は届いているのですが、来年用の年賀状は一枚85円になるので、100枚で8,500円ということになります。

年賀状の切手シートは連番のうち下2ケタの番号が3つあるので、100枚貰えばまず切手シートはもらえるような感じになると思いますが、今年限りで年賀状納めをする人もいると思いますので、出す方も少なくなろのではないかとは思うのですが、今年についてはそうした「年賀状納め」をというようなメッセージを書いて送ってくれた友人はいなかったので、多少コストは上がっても、少なくとも今年送ってくれた人には出そうとは思っているのですが。

もちろん、年賀状じまいをする方の気持ちはわからないでもありません。自分自身、もはや手書きで何かを書いて手紙を出すということは無く、ちょっとした文章ならパソコンのキーボードから打ってしまった方が早く、印刷すれば誰が読んでもわかるきれいな文字で出すことができます。年賀状の時だけいちいち手書きで一筆書き添えるというのも、数が多いと年末の忙しい時にはかなりストレスになることも事実です。そうした毎年の苦労から逃れ、連絡が必要な人にはすでに知っている携帯電話の番号への電話やダイレクトメッセージ、メールアドレス、LINEなどのIDに連絡を取れば良いから出さないというのは理にかなっているように思えます。ただ、これは一昨年かその前か忘れたのですが、このブログに書いたかも知れませんが、改めて年賀状を出すことの大切さというものを自分で考えた事があるので、その話を少し書きます。

毎年の年賀状は、その前年に年賀状をいただいたり、年賀状は来なかったものの喪中はがきが来た人をピックアップしてリストを作って出しています。その年は、前年に引っ越しをした年であり、郵便は住所変更届を出していたので一定期間は転送されるのですが、年明けにはその転送期間も過ぎ、私のところに年賀状を出したものの、転居先不明で戻ってきてしまった友人がいました。過去の年賀状には住所とともに自宅の電話番号(固定電話)を記載していたのですが、あまりに迷惑電話や詐欺と思われるような電話が多かったため、当初は新居にも電話番号を引き継いでいたのですが、携帯電話で十分と思って長年多くの人に知らせていた電話を解約しました。そうなると、自分の携帯番号を知らない人は、こちらから年賀状を出さない限り、新たな自分の住所を知らず、相手から見ると行方不明ということになってしまいます。

その時は、その相手との共通の友人から携帯電話の番号に電話が来ました。話を聞いて、その友人へはついうっかりリストから外してしまったことを伝えると、改めて新住所を教えてやっても良いかと聞かれたので、その電話上で改めて自分の住所をその友人に教え、その友人との年賀状交流が止まる寸前のところで回避されました。

友人の中には学校を卒業して以来会っていない人も少なくないですが、そういう人には当然LINEのIDも伝えていませんので、人生の中でも住所や電話番号、メールアドレスが変わって連絡が取れなくなる可能性を考えると、年賀状だけのつながりではあるのですが、一年間のつながりを維持するためには、やはり年賀状のやり取りをしている人が自ら止めるまでは自分からは止めない方が良いかな? という感じはします。今回紹介した友人とは実際に会うことは今までありませんでしたが、いつ状況が変わって連絡を取り合うようになるかも知れません。

今年は能登半島でかなり甚大な被害が出ている大きな地震が発生しました。こうしたことは自分の所でも起こる可能性は大きいですが、少なくとも住所を知っていさえすれば、宅配便が動かないような場合でも「レターパック」(速達扱いでバイクで配達する)に支援物資を入れて送ることは可能になります。今回の地震に関しては金沢市在住の友人はいますが、もし輪島や珠洲など、長期避難が疑われるような所に住んでいる人と年賀状交換をしていた場合、まずそうした直接的な支援が可能ですので、やはり住所をやり取りしていつでも物を送れたり、状況によっては直接訪れることのできる住所というデータを共有することは大事だろうと思います。

ですから、もしすでに年賀状じまいをしてしまっている方でも、かけがえのない友人が遠方にいるのであれば、転居や携帯番号の変更時にはハガキに限らず、メッセージや電子メールでも住所や電話番号についての情報はその都度送ってあげることはした方が良いのではないかと思うのです。ここまで、まだ一年のうちいくらかも経ってはいないものの、あまりの考えられない状況が起こっている中で、大切なのは人と人とのつながりなのではないかと思ったりします。年賀状は出さなくても、そうした人のつながりを考えた行動は必要ではないかと思います。


カテゴリー: ノンジャンルコラム | 投稿日: | 投稿者:

てら について

主に普通の車(現在はホンダフィット)で、車中泊をしながら気ままな旅をするのが好きで、車中泊のブログを開設しました。車で出掛ける中で、モバイルのインターネット通信や防災用としても使える様々なグッズがたまってきたので、そうしたノウハウを公開しながら、自分への備忘録がわりにブログを書いています。

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年賀状は将来的には消えていく運命ではあるものの簡単になかったことにして良いのか」への2件のフィードバック

  1. 匿名

    てらさん、こんにちは。

    年賀状は自分も細々と続けています。枚数はかなり少ないので手書きで、年末の締めとして直筆で、後のスペースは郵便局のスタンプで埋めています(笑)。
    「出したけど、来ない」とか「間違って喪中の人に出してしまった」、「出すのを辞めた人から来たので、急ぎで出した」等々、気を揉む事も多いですが、一応今年来た人には来年も出そうかな、と思っています。
    最近は会社でもプライバシー保護の観点で、個人の住所等が非公開なので、最近は仕事関係は、昔から出している方だけになりましたね。

    違う話ですが、北陸の震災で携帯電話が繋がらない為、公衆電話が見直されているとのニュースを見ました。公的にも無料で提供されているとの事で、自分もここ数年公衆電話は使っていませんが、無いと非常時に困るのだなぁ、と思いますね。

    では~            ahiru

  2. てら 投稿作成者

    ahiru さん、コメントありがとうございました。

    何も起こらない日常生活を送っていては気付かないことが、今回の災害でも色々と見えてきたような気がしています。時代の流れとともに、もはや役割を終えたのでは? と思っているものでも、全てなくしてしまうことに不安を覚えた人もいるのではないでしょうか。

    それと同時に、援助が来るまで何とか持ちこたえられるような準備というものの大切さというものも思いますね。先日、雨季と乾季の差が激しいニュージーランドの水事情について知る機会がありました。水道も井戸もない中でたよりにしているのが「雨水」で、かなりの量を貯水できるタンクを設置していて、その水を飲み水にも使えるようにろ過して使っているところもあるそうです。集合住宅では難しい面はありますが、一軒家だったら屋根からつたってきた雨水をタンクに貯めて、日常生活の中では水やりなどに使いながら、いざという時にはトイレの水として使うという事も考えてみても良いでしょうし、いよいよという時にはその水を飲めるような濾過器を集落で用意しておくというのも、孤立が心配される場所では考えても良いのではないでしょうか。

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