地元紙の夕刊が2023年3月で発行を終了する報を聞き改めて夕刊の意味を考える

私の住む静岡県では、大手新聞よりも地方用である「静岡新聞」を読んでいる人が多いという、ちょっと他の地域と変わったところがあります。個人的にはそこまで地元紙の方が良いかということははっきり言えないところはあるのですが、今回終了する夕刊についてはちょっと時代の流れを感じて寂しくもあります。

というのも、静岡新聞の夕刊に連載されていた新聞小説は、新進気鋭の時代小説家が書く新作が多く取り上げられていて、もしそうした機会がなかったらあの名作は生まれていたのか? とも考えてしまうからです。

今年の歴史上の人物としてメディアで多く取り上げられているのは織田信長よりも徳川家康だろうと思うのですが(大河ドラマの主役でもありますし)、今回の大河ドラマで描かれる家康像というのは、なかなか面白いと期待するところもあります。ただ、多くの人が望むような家康像にならずドラマ自体も不人気になる可能性もあると思います。

私が、今回の大河ドラマのような家康像に違和感を持たないのは、坂口安吾の「家康」という小品での家康の評価を目にしたからだと言えます。短くてすぐ読めてしまうと思うので、作品の方にリンクを張っておきます。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/57478_62862.html

この作品の中で、「彼が始めて天下をハッキリ意識したのは関ヶ原に勝ってからだ。」とあります。つまり、関ヶ原前と後とでは人間が変わってしまったかのようになったということも言えると思うのですが、そうした予断の元、実は徳川家康は関ヶ原で討ち死にし、それ以降は家康にそっくりな影武者「世良田二郎三郎元信」が家康として天下を徳川家に取らせたというちょっと荒唐無稽な歴史小説、隆慶一郎著「影武者徳川家康」が発表されたのが静岡新聞の夕刊だったのです。

初出の頃には地元民しか読めなかった作品ですが、後に原哲夫氏が有名な「花の慶次」(こちらも隆慶一郎氏の原作を元にした作品)の後に、同名で週刊少年ジャンプで漫画化したことで有名になりました。今までとはかなり違った歴史を見る目について注目されたことで多くの人がその作品の存在を知ることになったわけですが、それも新聞小説があってこそのものだったでしょう。

今では全く注目されないと思われる新聞小説ですが、それでも作品発表の場としては当時は機能していて、静岡新聞では多くの歴史小説を夕刊上で読むことができていました。現在の時代小説や時代劇を取りまく状況は厳しいと一言で言えるようなものではないでしょう。魅力的なキャストのために注目されるものの、まともな時代劇というのは大河ドラマをはじめとしたNHKでしか作られていないというのが正直なところです。民放の人気ドラマであった「水戸黄門」が終了してしまってからは、歴史に興味を持っても時代劇を好んで見るという方は小数派だろうと思いますし、時代小説という媒体を広く一般の人が目にする機会が今回の夕刊終了で一つ無くなってしまうと思うと、今後時代小説や時代劇はどうなっていくのだろうと思ってしまいます。

時代劇というと昔の話で今を生きる上では関係ないと思う方もいるとは思いますが、現代に生きる時代の中で生まれる時代劇というのは、実は今を生きる私たちの姿を投影している部分もあります。直接大きな力を持つ人のことを揶揄し、やっつけるような小説や映画よりも、過去に起きた出来事と今の出来事を比べ、昔に起こったことを現代の社会の中に投影することで、より自由な創作ができるでしょうし、読者の方もその後の状況がどうなっていくのか、具体的に想像することができるだろうと思います。そういう意味でも、昔の事をなぞるのではなく、未来を見据えた時代劇の登場が望まれます。


カテゴリー: ノンジャンルコラム | 投稿日: | 投稿者:

てら について

主に普通の車(現在はホンダフィット)で、車中泊をしながら気ままな旅をするのが好きで、車中泊のブログを開設しました。車で出掛ける中で、モバイルのインターネット通信や防災用としても使える様々なグッズがたまってきたので、そうしたノウハウを公開しながら、自分への備忘録がわりにブログを書いています。

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