臨時快速 ムーンライトながら運転終了へ 「大垣夜行」から続く夜汽車の風情

世の中は様々な活動が自粛され、旅行だけでなく県をまたいでの移動も難しい状況にあります。そんな中で、先日首都圏の最終電車の時間のくり上げが行なわれましたが、その中でひっそりと、過去に利用した事のある方なら懐かしいと思われる列車の運転終了が報じられました。それが現在は学生の休み期間など臨時に運行していた「快速ムーンライトながら」です。この発表により、ラストランは昨年の3月29日の上り列車の運行であったということになります。

この列車は元々、東京~大阪間を走っていた時代もあったようですが、私が初めて利用したのが東京~大垣を夜行で上下走る「大垣夜行」の時代からです。その時にはグリーン車の自由席が一車両連結されていましたが、自由席のためグリーン券を買ってもかなり早く始発駅で待っていないと乗ることは難しく、いつも普通席に乗っていました。

今では考えられませんが、大垣夜行時代は毎日運行していたので、東京に遊びに行っても大垣夜行に間に合えば、静岡駅に午前2時過ぎに着けました。普通列車のため、青春18きっぷでも乗れたので、学生の休み期間には相当混み合うのが当り前でした。学生の夏休み期間には車内は混雑を極め、通路やデッキでさえも人でいっぱいですし詰め状態になり、始発から乗ることができない私などは、静岡から上下どちらに行くにも立ちっぱなしを覚悟しなければなりませんでした。そういう事を知らずに深夜の静岡駅にやってきた大垣夜行ビキナーの人たちの中には、当時深夜の静岡駅で立ち売りをしていた東海軒(当時は駅近くの売店が24時間営業でコンビニのない時代には大変役に立ちました)の駅弁を買って列車を待っていて、静岡駅に入ってきた電車のあまりの混雑ぶりに、弁当を車内で食べることもできずにそのまま持って移動していた人もちらほらいたことも思い出されます。

当時は大垣夜行だけでなく、東北方面を毎日往復していた急行・津軽と八甲田も現役で、当時の上野駅のそれらの列車の出発ホームは石川啄木が歌を詠んだ時のように、「ふるさとの訛懐かし」のような風情もありました。今ではそんな列車もとっくの昔に運転終了してしまいましたが、大垣夜行はムーンライトながらと名前を変えるとともに全席指定でしばらくは毎日運行を続けたものの、臨時列車への格下げ、そして今回のムーンライトながら終了で、夜行列車の時代というのは本当の終焉を迎えたのではないかと思えます。

ちなみに、現在はドラマ「孤独のグルメ」の原作者としてそのお顔も有名になっている久住昌之氏と主に作画を担当する和泉晴紀氏による漫画ユニット・泉昌之氏のデビュー作がまさに「夜行」という作品で、「孤独のグルメ」につながるエッセンスが詰まっている秀作です。これを書いている現在、何とウェブ上で作品が読めるようですので、以下にそのリンクを紹介します。ムーンライトながらに思い出がある人もない人も、夜行列車に乗ったことがある人もない人も、夜行列車の風情を楽しんでいただければと思います(時間の経過とともにリンク切れになったらすみません)。

https://nikkan-spa.jp/1695418


カテゴリー: 旅行・交通関連ニュース | 投稿日: | 投稿者:

てら について

主に普通の車(現在はホンダフィット)で、車中泊をしながら気ままな旅をするのが好きで、車中泊のブログを開設しました。車で出掛ける中で、モバイルのインターネット通信や防災用としても使える様々なグッズがたまってきたので、そうしたノウハウを公開しながら、自分への備忘録がわりにブログを書いています。

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