当り前にスポーツ遠征に行ける今だからこそ

2018年は様々なスポーツで陰に陽に注目が集まる年になったような気がします。高校野球の甲子園大会で第一回以来秋田県勢として103年振りで決勝に進出した(今年が100回なのになぜ103年振りかというと、米騒動と太平洋戦争のために大会が中止になったことがあるため)金足農業のチームに注目が集まっていますが、その盛り上がりの陰で選手と応援団の現地滞在費用が足りなくなるという、綺麗事では済まない問題も起こっていたといいます。

金足農業は決勝まで進出したということで全国的な注目が集まり、目標とされていた寄付金が県内だけでなく全国から集まり事無きを得たようですが、こういう話を聞くと今も昔も自由にスポーツができ、国内・海外遠征ができる人というのはそれだけでも有難い事だということも今一度認識し直すことが必要なのではないかと思います。

歴史がらみの話として、過去に私が読んだ話の中で印象的に思ったものに、戦後すぐに世界選手権出場が決まったものの、自己負担金を協会に提出しないと代表権が得られないような競技団体が存在したことです。これは、卓球の荻村伊智朗選手が1954年のイギリス・ウェンブリーで行なわれた世界選手権の代表に選ばれたものの、当時のお金で80万円という当時個人では用意できないような途方もない金額を協会に出さないと代表権を剥奪されるという状況に追い込まれた時の話があります。ちなみに同年の公務員の大卒初任給は8,700円で、ラーメン一杯35円という時代の80万円というのは、今の一千万円以上になることも考えられ、普通の家庭ではとても出せない額です。

この話に、さすがの荻村さんも代表権の返上を考えたそうですが、卓球仲間が街頭に立ち募金活動をして何とか集めた80万円を卓球協会に上納することで何とか大会に参加できることになり、その大会での優勝で一気に荻村さんに脚光が当たることになるのです。当時は荻村さんと同時に代表に選ばれながらもお金を集めることができずに大会に参加できなかった選手もいたということですから、当時の社会状況があるとは言え、生まれる時代によってこれだけ待遇に差があるのかと思ってしまいます。

こうした先人の苦労を考えた時、アジア大会の最中に買春して競技が行なわれている中で日本に帰国となった男子バスケットボールの選手達は、それまでどれくらいの人からの支えが有り、さらにアジア大会への渡航費用・宿泊費はどこから出ていたのか? という点にはあまりにも無知であることだけでもバッシングを受けて当然であるとも言えます。

それこそ、現代でもお金がない中で家族の協力で競技活動をしている人達の中には、日本一のレベルであってもお父さんやお母さんがワゴン車を運転し、宿泊費を浮かすために車中泊をしながら遠征するような人は少なからずいます。

車中泊というとエコノミークラス症候群を心配される方もいるかも知れませんが、車中泊であってもしっかり足を伸ばして寝られるスペースを作り、車の中で泊まる前提なら腰を傷めないようなスポーツ選手向けに作られているマットを併用すれば、限られた予算の中でも体にそれほど影響なく全国を転戦できると思うのですが、特にメジャースポーツで活躍している選手はそうした苦労の末に掴んだ代表の方もいることを重く考え、そこまでの苦労もしないでも遠征や活動をこなせる有り難さというものを感じて、せめて試合のある期間中にはスポーツに集中すべきでしょう。

全てが終わった後の打上げで羽目を外すならそれは、それまで支援してくれた人への感謝という意味でもとことん付き合うことも大事だとは思いますが、特にメジャースポーツで有名になっている方も、自分達は誰からサポートを受け、誰から応援されているかということを考えて行動しないと、今の世の中では今回のようなバッシングにいきなりさらさせるような行動を取ってしまうようになるかも知れませんので、その辺は十分注意して競技人生を全うできるような活動を行なって欲しいと願っています。


カテゴリー: ノンジャンルコラム | 投稿日: | 投稿者:

てら について

主に普通の車(現在はホンダフィット)で、車中泊をしながら気ままな旅をするのが好きで、車中泊のブログを開設しました。車で出掛ける中で、モバイルのインターネット通信や防災用としても使える様々なグッズがたまってきたので、そうしたノウハウを公開しながら、自分への備忘録がわりにブログを書いています。

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