現在開催されているFIFAワールドカップにおいて、日本チームを応援するサポーターが観戦後のスタジアムでゴミ拾いをして帰ることが美談としてニュースになっています。現地で観戦する日本サポーターの方は、もはや伝統的に「来た時よりも美しく」という標語を実践していて、他の国の人からはびっくりされるのだと思いますが、それをあたかも日本人全体に当てはめるような論調が見掛けられることもあり、これには私は違和感を覚えます。
一つ例として挙げさせていただければ、富士山を世界遺産へという運動があり、現在は「世界文化遺産」ということで認定されているのですが、これはあくまで富士山を「信仰の対象と芸術の源泉」ということで認定されています。私たちが富士山というと、その自然の美しさということがまずは浮かぶわけですが、「世界自然遺産」としては落選してしまったのは、富士山の回りの環境汚染があったからということになります。粗大ごみや産業廃棄物が捨てられていて、毎年その清掃活動が行なわれているものの改善されていません。そうした行動をしているのも日本で生活している人の仕業であるわけですから、日本人はきちんとゴミを片付ける民族かどうかというのは、にわかに判断できることではないでしょう。
行楽地でも公共のゴミ箱の中に明らかに行楽地で出たものではなさそうなゴミが捨てられていたり、キャンプ場や川原でのバーベキューで、直火で焚火をしたり、持ってきたバーベキュー用具をそのままにして帰るような事をするのも同じ日本人だと考えると、ワールドカップを見に行くような人たちの行動だけを見て、日本人はすごいという論調に持っていこうとするのは、やはりおかしいと思います。
本当に、日本人が世界中の人からすごいと思われたいなら、大きなイベントでのピンポイントな行動を大きく報道するのではなく、日常生活の中でそもそもゴミを出さない生活をするとか、車で出掛けるならゴミを家まで持ち帰ったり、有人のガソリンスタンドや有料のキャンプ場で処理してくれるところがあれば、そこで処理をお願いするようなことが当り前の事になるようにみんなで行動を正していくことが必要になってくるのではないかと思います。
何も海外ニュースを日本国内に紹介する際の報道の姿勢を、日本が海外に向けての外面だけを良くする必要なないと個人的には思います。富士山の事でも、世界遺産としてアピールを求める前に、皆で富士山をきれいにしようという意識が統一されていれば、文化遺産でなく自然遺産として存在できていたかも知れません。特別なことではなく、ポイ捨てや不法投棄を一人一人がやらないことが当り前の社会であれば、世界に誇ることができると思いますし。
今後、日本に多くの海外からの旅行客が入ってきた時、「日本人はきちんとゴミを片付ける」というイメージを持っている人だったら、今の日本国内の状況に期待を裏切られたと感じてしまうのではないでしょうか。改めて、多くの人に「来た時よりも美しく」という言葉が浸透し、行動を伴って国内の状況も変わっていって欲しいと思います。