詩人の谷川俊太郎さんの訃報が流れてきました。車中泊とは関係ありませんが、今回は故人を偲ぶということで少々書かせていただきたいと思います。
私の谷川俊太郎初体験は、記録をひもとくと彼の初めての絵本という和田誠さんと組んだ「ケンはへっちゃら」という本に出会ったことでした。当然ながら本を見ていた時にはそこまで内容について深く考えられるような年齢ではなく、和田さんの絵と子どもが好きな「おなら」の擬音がことにつけ印象には残っていました。
その後、チャーリーブラウンとスヌーピーが登場するチャールズ・M・シュルツ氏のコミック「ピーナッツ」の日本語訳者としてその名前を目にしました。学校の授業では彼の「二十億光年の孤独」を読みましたが、最初の絵本の内容はともかく、世の中から至極まっとうに評価されている方であるという印象は持っていました。
その後、高校時代に何かのステージにご本人が出ているのを見る機会に恵まれました。ご本人は個人としての講演会というものは行なわず、ご当地の若い人との座談会という形であれば出るというようなスタンスだったらしく、一緒にステージに立った地元の子や会場からの質問に答えるような形でその座談会は進行していきました。その際、私が思った、教科書に載るような詩というのはあまり日常的には触れることがないのでとっつきにくい(?)というような話をした人がいました。それに答えた谷川さんの言葉は確か「でもぼく『鉄腕アトム』を作詞してるのよ」という感じだったと思います。なかなか地元在住だと有名な詩人の人柄というものに触れる機会はないのですが、この言葉だけは今でも覚えていて、それから彼に対する印象が変わりました。
その後、漫才の世界で大人気だったビートたけし(北野武)さんが、漫才の世界だけでは収まらないくらいに、深夜のラジオだけでなく映画の世界や歌にも挑戦している時期があって、その中で強烈な印象だったのが、谷川さんの詩に坂本龍一さんが曲を付けた「たかをくくろうか」は大人の味で、かなり印象的でした。北野さんの歌も良いですが、その後谷川さん自身が歌ったバージョンも良く、高校時代の事を思い出したりしました。
私にとっては、谷川さんはまさに日常的なものから詩の世界の扉を開かせてくれたような存在で、どんな人でも名前を知られているというのはやはりすごい人であるという感じがあります。ここまでだらだらとした駄文を書き連ねている身からすると、言葉を選んで短い表現の中で強い印象を読んでいる人に与える詩人というのはすごいと思います。最近では紛争の続くパレスチナのガザでソーシャルメディア上から作品を発表し続けていたリフアト・アライール氏の作品を読むと、詩というものは高尚なものではなく、人間の叫びを具現化してその気持が多くの人に伝わる文学の奥深さを感じずにはいられません。
谷川さんの死因は老衰だということですが、今の社会について谷川さんの言葉が聞けないというのは本当に残念です。むしろこれからの日本でこそ詩人の叫びが必要になってくるのではないでしょうか。私にはさすがに詩をひねり出す才能は無いので、国内で谷川さんに続く詩人の方の作品に今後は期待していきたいと思います。今生きる多くの人たちの不安を具体的に言葉として紡いでくれるような作品を目にできるようにと今は願っています。