「防災の日」に起こった「関東大震災」を知る

「防災の日」ということで毎年防災訓練が行なわれていますが、9月1日がなぜ防災の日となったかということを考えると、「関東大震災」が同日に起こったことがあるのですが、さすがに1923年(大正12年)に起こったことなので、なかなか実感がわかないというのが正直なところです。

私個人としては、たまたま静岡県内のユースホステルを訪れていた時に、天城山の麓にある「いろり荘」を訪れた際に実際に関東大震災での体験を聞く機会に恵まれました。すでに伝説のオヤジはお亡くなりになった後でしたが、その跡を継いでユースホステルを切り盛りしていたおばあちゃんが一人で切り盛りをしていて、当時は寝床の設営や整理整頓、食事の後の食器の洗い方まで小言を言われましたが(当時のユースホステルでは配膳から後片付けまで宿泊者が行なうことが当り前だったのです)、食事の後の就寝前の時間に様々な話をしている時にこの関東大震災の話題になったのでした。

この地震の名前は「関東大震災」と言い、東京での被害が大きいので都内での直下型地震と思われがちですが、本震の震源地は相模湾で、熱海では津波が12メートルも来たことが記録されています。当時、おばあちゃんは横浜にいたそうで震度は6とか7とか言われていますが、とにかく地面に亀裂が入る「地割れ」が起こったことが鮮明な記憶として残っていると言うことでした。

それと同時に、本当に地震は怖いという事をしみじみ語ってくれたのですが、関東大震災の本当の怖さは地震による火災にありました。これは、おばあちゃんの体験した横浜での状況と東京では違ったかと思いますが、横浜でも火事により被害に遭った方は多かったようです。この地震は数々の偶然がもたらした大惨事だと言われています。

というのも、今年の9月1日は土曜日ですが、1923年の9月1日も土曜日で役所などは午前中に終りになったことで、人が帰ってしまったことが被害を増やした点の一つではないかとも言われています。さらに、今年は今まさに台風が日本に近づく中で昨日もかなり強い風が吹いていましたが、1923年の9月も台風が来る前でかなり風が強かったという記録があります。

地震の発生時刻は午前11時58分で、その揺れは10分も続いたという話も残っています。実はこれは、本震の直後にさらに2つの大きな地震が起こった「三つ子地震」とも言われています。地震の揺れは関東だけでなく東北や関西にまで及び、それだけ大きな揺れだと言われていますが、当時の煮炊きはかまどや七輪というように、今の電気やガスのようにスイッチを切ればすぐに火元にならないものでなく、水を掛けてもまだ火種がくすぶり続ける薪や炭を主な燃料として使っていたこともあり、死者が10万人以上でそのほとんどが火災によるものという未曽有の災害となってしまったのです。

大火の恐ろしさというのは、少し前に起こった新潟県糸魚川での大火の様子を見るとおわかりかと思います。普通の火災だと火元の家とその隣家が燃えるだけで鎮火することが多いですが、強い風により火の粉が舞って火元から離れた場所からも火の手が上がったためあれだけの大火になってしまいました。火の粉が飛んでも周辺に何もない公園などが多く整備された街づくりでなく密集した住宅がある地域では、次々に火の手が上がるようなことは、今後も考えておかなければなりません。

特に今年の防災の日というのは、土曜日であることと台風による風が強いということで、何かいやな予感がしてしまうのですが、今回は地震ではなく台風による被害が全国で起こる恐れもあります。実際に避難訓練に参加される方は、今後もし何かの災害に巻き込まれたケースを想定しつつ、集落や地域での備蓄品やトイレなどの設備の確認をしておくのもいいかなと思います。ただ、関東大震災の場合、避難のために逃げた場所に火が押し寄せて多くの人が犠牲になったということもあるので、避難所であっても本当に大丈夫なのが自分で考えて行動することも忘れてはいけないでしょう。


カテゴリー: 防災関連ニュース | 投稿日: | 投稿者:

てら について

主に普通の車(現在はホンダフィット)で、車中泊をしながら気ままな旅をするのが好きで、車中泊のブログを開設しました。車で出掛ける中で、モバイルのインターネット通信や防災用としても使える様々なグッズがたまってきたので、そうしたノウハウを公開しながら、自分への備忘録がわりにブログを書いています。

スポンサーリンク

コメントを残す